お会いしたい

日本史を読むと様々な名字に出会う。

鈴木氏や和田氏は雑賀(さいか)党にその名がみえるが、珍名じゃないので、和歌山に限らず実際に出会うことに不思議はない。
他に、和歌山らしく紀氏の書き換えである貴志、岸は多かった。珍名では塙坂(はねさか)、垂井(たるい)、玉置(たまき)、丹生(にう)、宇治田(うじた)や吉垣内(よしがいと)なんて地元民でないと絶対読めないだろう名字があった。
中谷(なかや)、経ケ阪(きょうがさか)は和歌山出身ではないが四国や兵庫から来たと思われる。
九鬼(くき)、糟屋(かすや)、長屋(ながや)、丹羽(にわ)、加納、水野など史上有名な名字なので出会うとわくわくする。

長束(なつか)、<松浦(まつら)にも是非お会いしたいと思いながら果たせずにいる。
カルテに似た名前をみると必ずお聞きするのだが、いつも「ながつか」さん、「まつうら」さんである。

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訃報2

杉浦日向子さんの訃報もきく。
彼女の漫画は、現代と江戸のちょっとした感覚の違いを、まったりとした絵のなかに微妙な違和感として感じさせてくれて好きだった。

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歴史との関わり

史観は個人のもので、一人として全く同じということはないと思っている。
更に一個人に於いても何か機会があれば変化する。このことを否定してはいけない。
「みるべきほどのものはみつ」は人生の最後に云う言葉である。
だからこれから書くことは、高いレベルでは間違いであることが前提となる。
何度か気にとめながら、毎回最後に捨てる。
断定的に書いてはいるが、実はとてもあやふやなものなので、私自身も後日似たようなことを書いたときには違ったことをかくかもしれない。

ミクロな歴史は事実をそのままみる。これが第一段階だと思う。
ここをいいかげんにして次に進む、若しくは順序を逆にすることがよく見受けられる。
自分なりの歴史理解は人に教えられたとおり憶えこむことではない。
以前「時間を感じる」について書いたが、時間感覚は生まれつきのセンスといいたくなるくらい理解しやすさに個人差がある。
学生時代には教科書は教科書として流しながら、できれば宿題として一つのテーマを深く掘り下げると理解しやすいと思うのだが、如何であろう。
私などは根がスケベなので、多夫多妻から一夫一婦への流れだとか、中世ローマ教会による結婚式だとかであったが・・・いや話がそれた
わからないことはわからないと云う。確立されていないが、こう思うでもいい。きれいに説明するのは次の段階でいい。
ただ、事実を調べる前にこうでなければ、とかこうあるはずだという思いこみを持たないように気を付けることが必要である。大風呂敷を拡げるのではなく小さなテーマを選べば、先入観など吹き飛ぶはずだが、困ったことに気に入らない事実をいろいろ理由をつけて最初からはねてしまう頑固な人もいる。
古い「ゴーマニズム宣言」を読んだときに、彼はこの段階だったんだと思った。最近は次の段階を模索しているようだ。

第2段階は、自分をその歴史の中にすべりこませる。歴史的事実を一度バラバラにして、必要なチップを選び、再構成する。
歴史について書かれた本は、時間感覚を持たないようなクズや素人談義は別にして、ほぼこの段階のものである。
マクロな歴史学と云うか。
著者の歴史観をつなぎとして、わかりやすい一つの流れとしてみせる。
そこには必要な強調と異論の除去が行われているため、歴史事実そのままではない部分がある。
○○はうそを書いている、○○は都合良く歴史を書き換えている、歪曲しているというのは決して間違ってはいないが、それをいいだせば史書は全てあてはまってしまう。
○○史観というのは、幾つかの著作を貫く著者の歴史観・人間観・人間性がしっかりしていることである。
教科書も基本的にはこの段階の著作物である。

歴史観の持ち方には大きく2種類ある。一つは現代倫理、自分の倫理を基準にして、過去を批判してゆく方法、もう一つはその時代・場所の倫理を探し、現代を批判する鏡とする方法である。
どちらが正しいといいきることはできないし、普通は両方をうまく組み合わせていると思う。ただ、前者に傾きすぎる書は自慢げで、読んでいて気持ちのいいものではない。
また、現代に置き換えて考える、自分ならこうしたろうと考えることも、方法論としては間違ってはいないが、やりすぎるとその時代・土地の人々の特徴・倫理観を押し潰して、現代人がコスプレしているようなぎごちない話しになる。
例えば、時代小説は大正浪漫の産物であり、主人公か近い人物にわざと近代精神を混ぜて読者に感情移入しやすく作っている。「吉川版宮本武蔵」や「竜馬がゆく」は史書ではないことは承知して読む必要がある。NHK大河ドラマはもっと露骨に現代サラリーマンを並べる。
宮崎駿氏のアニメのパンフレットに中世史の泰斗である網野善彦氏が寄稿したことがあるが、これも網野氏の文献をよく読みこんでいるし、現代倫理から離れた人物を登場させたとはいえ、確信犯として室町ではないものを突っ込んで宮崎氏の世界を作っているので、無理に書かされた苦しい批評であった。
どこからが史書でどこからが創作かというボーダーラインを明言することは私にはできないので、専門家の史書や歴史オタクのHPをできるだけ多くみて自分なりに感じてもらいたい。少なくとも歴史認識だの伝統などと平気で書くHPにまともなものはない。史書に慣れてくるとそういうHPに違和感を感じるようになる。

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ジェンダー論に絡めて

別宅に以前書いた日記に女性の就職関係のことがあったので、再録する。
後ろについていた本論はどけたので、意味がわかりにくい部分もあるがご容赦。

歴史感覚
at 2002 09/02 06:42 編集

史観とは違います
諸行無常の悟りとか、4次元感覚と云えばいいでしょうか
物事は時間と共に変化してゆくことを認識出来るかどうかです
過去を批評するときに、いきなり現代と比較して民主的かどうかなどと言い出すのではなく
当時の状況を、前後の時間の流れのなかでどうであったかをふまえて置いて、批評する
歴史の専門家でももてる人と持てない人がいます

例えば、私のいた獣医学科で、女生徒の就職問題が特に大動物臨床(馬・牛など)で起こった時期がありました
男女差別が撤廃されたからと云えばそれで終わりですが、
では何故、一時期だけであったのかということの説明にはなりません
獣医学科に入る女性の数は私の前後に急激に増えました
それまでは女生徒の数自体が少なく、大動物臨床に進む人は全国で一桁くらい
私の頃で、私のいた大学が例外的に1-2割でしたが、大抵の学校では半々位であり
今では女生徒が過半数、いやもっと多いです
従って、先輩たちの時代には、女子で大動物臨床を志す人は自分たちが例外的な存在だと知っており、採用条件など自分の力で突き破っていました
例外なので、採用側は特例としておけばよかったのです
現在はそんな条件をつければ誰も来なくなるし、女性の受け入れ体制も実績もできてきたので採用側は条件を撤廃しています

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一知半解−日刊工業新聞社

名古屋の地下鉄に置いてある地下鉄ガイドに変な記事が載る。
発行は日刊工業新聞社。専門外ということだろうがそれにしてもおそまつ。

10月1日発行分
沿線案内で名古屋市瑞穂区新瑞橋周辺に50m角の3つの城があったという記事の解説。全文載せる。

「城には、山城、平城、平山城などがあり、中世以降、各地で築城が活発化。関ヶ原合戦後、一代築城ブームとなった。平地あるいは小高い丘につくられた平城は、規模も大きくなく戦国時代の戦(いくさ)などで、崩壊され、原形をとどめるものはほとんどない。」

これは一知半解のいい例である。記者は中世にもにも不案内で、解説書を2−3冊読んで、勝手にくっつけてしまった。
問題点は

1.中世とは何時か。戦国時代は普通、中世に含まれる。2つの本を安易にくっつけるからこういうミスをする。築城ブームは弥生時代、近江朝など何回もあったが、ここで取り上げられる様な小さな砦が日本各地に築かれたのは南北朝あたりから。日本中が南朝方、北朝方に分かれて小さな領地争いをした為。戦国時代がピーク。
2.ここでいう”城”とは何か。関ヶ原辺りでブームになったのは大名による天守閣のある城作り。ここに書かれるような城とは部将・頭目クラスの小領主の砦で、それ以前に作られたものがほとんど。名古屋は平野だから平城の形が多いだろうが、河内・紀州などは平地が少ないことと、本来の避難所の目的に合致した山城のほうが主流になる。だから、”平城”と書かずに砦若しくは城とだけ書けばよかった。原著ではそう書いていたはず。
3.いつ平城が無くなったのか。関ヶ原でブームになったものが、どうしてそれより前の戦国時代に崩壊されるのか。記者の時間感覚の狂いは並じゃない。
4.平城は無くなったか。すぐ近くの名古屋城をはじめ、江戸城、駿府城、松代城、忍城など江戸時代に残った平城は多い。というか、関ヶ原以後の築城は不便な山城より、平城乃至平山城が主流である。
5.江戸時代はじめに一国一城制と呼ばれて、城の棄却が盛んな時期があった。小さな砦はこの時期にほとんど棄却された。幕府の方針もあるが、必要性も無くなっていた。

以上、会社にクレームをつけようか迷っている。

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時間を感じる

歴史を考える時に、時間の連続と変化を感じるかどうかというのは、生まれつき持って生まれたセンスのようなものだと考えるしかないことがよくある。
くまりんさんの「日本人という意識」やstandpoint1989 さんの「朱子学的闘争に飲み込まれた韓国」における噛み合わないコメントは、時間感覚がないことにコメントを入れた人間が気がつかずにいることが大きいように思う。
時間感覚とは何なのか。ただ定義などいってもわからないだろう。私なりの喩えによって感じていただけるであろうか。問答になってしまうが、ご容赦。
時間感覚の例としては鴨長明の「ゆくかわのながれはたえずして・・・」と仏教用語の諸行無常があげられる。
諸行無常は仏教説話にあり、岩波文庫や、「ジャータカ物語」などが正しいだろうが
私なりの解釈は「豆腐」である
豆腐は水につけたままでは崩れてゆく。皿にだせば水がしみでて硬くなる。
ある日、会心のうまい豆腐が作れたとしても、翌日には確実に味が悪くなる。
翌日失敗作しか作れなければ、それでも会心作のほうが味がいいかもしれない。
では2日目は。7日目は。いかに会心作といえども日を追う毎に味はおちてゆく、崩れてゆく。(豆腐ようというオチは置いといてね。)
日本人という意識も、日本人の範囲が大きくなるにつれ変化してゆく。
当初日本を名乗った人々は、しかし日本人とは名乗らない。現在云う大和朝廷の国名としては日本でも、住む人はそれぞれの氏族、部族、部の民である。日本という言葉は官僚用語とでも云えばいいか。近いものに倭人という言葉があるが、倭人は、日本人とは字が違う。私は倭人は当時の日本という国より広い範囲の人々を指す言葉だと思っているが、例え同じだとしても、大和朝廷を中心に人々が集まるという意識とは別のものである。いってみれば、自らを倭人と考える人々の中から日本人という意識をもつ人が生まれてきたのはいつの時代で、その原因と転機は何かということだ。
日本国や日本人という言葉を、庶民が使い始めた当時の日本には北海道や青森は入っていない。更に境界近く俘囚と呼ばれた人々は日本の領土に住むが、彼らに日本人という意識があったかは不明である。
室町時代、南部氏が現代の岩手・青森に国を作ったときはどうだろう。津軽氏は日本人だと思うから、秀吉に積極的に取り入って津軽藩をつくったのだろう。
そうしたあいまいさと変化を理解できないから、国境が確定(今もって無人島の帰属争いが存在するというのに)し、国民意識ができないと日本人という意識はありえないから近代以前にはないと断言する。
「朱子学的闘争に飲み込まれた韓国」では、高麗・李朝における党派闘争を背景に親日法を論じているが、コメントは現在の状況のみを云い立てる。北朝鮮では親日家が粛清されたというが、どの様な人々かは宮崎学氏が書いている。韓国に於ける親日家についても彼は具体的には誰も想像できない。反日でもなく親日でもないその日暮らしの庶民の存在も想像していないが、親日家金素雲氏(彼は民族運動の王道である文芸活動を行った)が、終戦直後に避難民に嫌がらせをするにわか反日活動家をぶん殴った話を読んだことがあるので、親日・反日の2分論は韓国では当然の処世術なのかもしれない。

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ばかもの

私は、私を含めて世の中の人の99%は馬鹿で、天才は1%以下だと思っている。
視点の違い、結論までの鮮やかさ。凡人にはついてゆけない部分もあるが、その人独自の新しい言葉や既存の言葉に対する新しい定義。
そして、それを大衆にむけてわかりやすく(若しくはわかった気になりやすく)説明してのける技術。
頭がいいとはそこまでできてはじめて云えることだろうと思う。
東大京大を出てる、一流誌で論文を出しているといっても他人より少しパズルがうまいだけ、99%は頭の悪い人間だと思う。
例えば天下の朝日新聞で社説・コラムを書いている連中も、一流大学を出て順調に出世し、退職後はどこかの大学の教授に天下る予定の人達だが、書いている文章のつながりの悪さ、過去の記事を忘れる記憶力の悪さ、引用の元を確認する手間を惜しむ横着さ、目の前に気をとられて時間の流れを読めず、将来への方向性を指示できない視野の狭さ。「2ちゃんねる」その他でさんざん叩かれる程度のレベルでしかない。
人気blogのなかにも先に私が空虚と書いた人やこんなもいるが、自分で思っているほど頭がいいとはみえない。
別に、天才のなかには唯我独尊で己が道を突き進む仙人もいるが、それも高みに到達できるのは極少数。

但し、世の中を動かしているのはその99%の馬鹿である。目の前の出来事に右往左往し、ベストの方向とは違う変な方向に突っ走る。
馬鹿共が、それぞれに勝手な方向にむかってゆく総体として、一つの流れになるのが、歴史の流れだと思う。
天才たちがどんなに正しい道を指し示しても、世の中を動かそうとしてもうまくはゆかない。
天才たちが、先が見えすぎてすぐに悲観的になったり、だから愚衆はだめだと莫迦にするのも放り投げるのは誤り。結論を簡単にだすものじゃない。
うまくゆかないのが当然だというところから出発して、よりよい道を模索し、努力するのが正しい評論のありかただと思う。
右傾化しているだとか、コイズミ人の「アホ・マヌケ」だとか(kamakazu氏のことではありません。直接のコメントや空楽さん、私へのコメントをみると後述する竹山氏と同様に尊敬できる人だと思っています)、ブサヨだとかいっただけで、結論にしてしまうのは論外
竹山徹朗氏を、意見には異論があっても評価して気になる人にリンクしたのは、天才だからではなく、彼の他人の意見に耳を傾け、そこから考え、更に進もうという姿勢が好きで、私もかくありたいと思うからだ。


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