みんぱく

職場に、国立民族学博物館よりパンフレットが届く。
年末年始の展示インベントが干支にちなんで「いぬ」ということで、待合いに置いて来客に配って欲しいらしい。
面白そうな企画だが、12月28日〜1月4日は休館。だめじゃん

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耽美な世界

早乙女宏美さんの切腹ショーを久しぶりにみました。
余人を以っては代えがたい一芸を持つというのはどの世界でもすばらしいことで、彼女ならではの世界を堪能しました。
ついでに著書にサインをもらいましたが、いただいたメモによると発売2年余ですでに4版を数えるとか。
河出書房新社より新刊予定もある由、楽しみです。

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通用門

今度引っ越した茨木市は、新しく綺羅綺羅しい建物が多く、田舎者の隅田にはまぶしくて落ち着けないが
古い農家なのだろうか、正門をかたく閉じて通用門を持った屋敷を散見して、ここが信長や大阪の陣で有名な茨木城のあった古い街だと思い至る。

そういえば、私の幼少時には玄関から家に入ったことがなかった。屋敷というほどの大きさはない家だったので門は一つしかなかったが、玄関を横目にお勝手に回り込み、土間から家に入っていた。玄関は主人が仕事に出たり、客を迎えるための特別な存在であった。
今はお勝手は閉められ、土間は板敷きの台所となった。よく血塗れの鼠や昆虫をくわえて来た猫も既に亡い。

ハレとケ、見栄、人が通らない門を持ちたがるちょいと宗教がかったような精神的構造は、封建的であるとして戦後失われていった日本文化の一部であるように思える。
着物を愛用しても、日本文化だとか伝統という言葉を云いたがらないのは、その様な封建的文化の残滓を知る世代であること、その上でそうした精神的構造やちょっとした生活の形までは受け継いではいない自覚があるからだろう

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華月漣さん

去年の夏からストリップ小屋通いを再開したが、学生時代に通った札幌ニューカジノ劇場所属の方がでるときにはできるだけ観に行く事にしていた。
kajino
麗千波さん、マドンナ麗さん、月夜乃空さんにお会いできたが
華月漣さんは、ちょうど10月11月に名古屋の劇場を廻っていたり、京都に用事があるときには伏見で、大阪に用事があるときには神戸で踊っている。
着物趣味が共通していて、着物を使った衣装や、和のイメージの踊りを組み込んでいる
偶然も4回重なればそれはご縁というしかない。
姐さんも、私を見て次の回に大須で今日買ったばかりという羽織を着て踊ってくれたり
先日はいつもの着物でなく洋服でみにいったが、私のことを憶えてくれていた。
こうなりゃHP”I☆STRIP”をチェックして、いけるところは通うしかない。
学生時代はしたくてもできなかったおっかけというものを経験してみようと思う。

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若いご同業に感服

仕事上の必要から検索していて、偶然面白いコラムを見つけた。
にほんまつ動物病院
院長二本松昭宏氏は1972年生まれでまだ若いのに、院長のコラムのページにおいてヒューマニズムの流れを総括した上で「ヒューマニズムの次の段階」という言葉を出している。
人道という言葉に酔って、それ以上の思考を進めないで終わる人間がネット上にも新聞コラムにも多いというのに。
若い人に期待したくなる。

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日本という国の「なつかしさ」

「海の彼方の国へ 日本をめざす韓国・済州島の女たち」呉善姫著を図書館で見つけたときに、”あぁやっと出たんだ”と感慨深かった。
「スカートの風」を読んだとき、そこに済州島の字をみた時から、この本が出ることを願っていた。日本化するという言が消え、彼女が済州島出身であることが日本理解に関係することを自覚する文章をみるようになってからは、いつかそのことをまとめて欲しいと期待していた。
新宿にいて日本の女系文化を理解するのは難しいかもしれないが、今後の希望として
血と骨」「マルセ太郎記憶は弱者にあり―喜劇・人権・日本を語る」とは違った視点で大阪やその地の済州島出身者を1冊にまとめて書いて欲しいし、
和歌山や長崎などに取材して、済州島との相似を背景に、家を守る女たちの日本文化論を
更には、朝鮮半島南部を含めて、倭の女系文化の掘り起こしをして欲しいと思っている。

おっと結論を急ぎすぎた。
今はまだこの本を読み始めたところだ。
1行ごとに泪しながら読みすすめている。
タイトルはこの本の序章からとったが、私の本音は”郷の便りをきく心地”である。懐かしい景色が次々にみえる。

別宅から何度も書くが、私は和歌山の港町に生まれ育った。
そこは女達が朝に地引き網をひいて幾ばくかの金を得、雑魚をもらって子供達の食事にする土地であった。まともな男は船や汽車で外にでてゆく。山の斜面の小さな田畑を耕し、シュロの亀の子たわしを始めとする日用雑貨の内職をし、老人の世話をし、子供達をしかりつけるのは全て女。寄合があると亭主の財布に恥をかかぬだけの小遣いを入れるのも女。かかぁ殿下どころか大黒柱である。関西に於いて、紀州女は九州女とともに情の深さとたくましさで知られる。ついでに紀州の男はそのような強い女に甘やかされて駄目な男が多いことも。

著者がとりあげる”女しかいない所””済州島の女たちの伝統的な働きぶり”に重なる。

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