ここのところ少し鬱が入ってきた。
睡眠時間が長くなる。いつもは2時間おきくらいに目が覚めるのだが、気がつくと6時近くなっている。
動き出せばいつもどおりなのだが、心にきれがなくて、仕事には出られるが、
休日の予定はずるずると遅刻してゆき、結局夜まで外にでない。
慣れているので、あわてもしない
ひどくならないようには気をつけている。

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時には昔の話を

一人暮らしでどうしようもなく落ち込んだとき、自分では立ち直れなくて
布団にくるまって中島みゆきさんの「世情」などを聴き、
氷室冴子さんの「シンデレラ迷宮」を読見直すことが何十回とあった。
”シーラカンスの夢”の話に同化して、深い海の底に沈んでいった。
涙までは出なかったが、心の中でなき続け、小説の終わりに引っ張られるように少しだけ浮上した。
浮上の程度により、続編の「シンデレラミステリー」も含めて5冊ほどの本を使い分けて読みすすめ、少しづつ浮上していった。

弱い自分が逃げ込める場所、ここにゆけばささくれだった心をなぐさめられる場所
いっきでなくていいから、少しでも回復を期待できる場所
本の虫だった私は本だったが、何だっていいと思う。
煙草でもいいし、ナイフでもいい、女の乳房でもいいし、男のぬくもりでも。
そこにゆけばなぐさめられるという期待だけでももてる場所があればいい。
ただの自己暗示なのかもしれないが。

リストカットの話を知ったとき、体が傷つくことを問題視する気になれなかったのは、
自分に呪文をかけるように何かにすがる気持ちが一緒だと思えたから。
本だったのは偶然。手首を切れば落ち着くと自分に呪文を唱えたら、自分も手首を切っていたと思う。

ただ、落ち込みにも程度があり、浮上にも程度がある。
毎回自分を肉体的、精神的に傷つけるしかないというのではなく
軽いうちに処理できる場所、少しでも浮上したらゆける場所を、いいところに見つけて欲しいと思う。


余談ではあるが、大学時代に別の本のサイン会で、
すみませんがと持ってきた「シンデレラ迷宮」を差し出したとき、
著者がこういう人がいるんだよねと云っていたから、
この本に惹かれた男は私だけではなかったと思う。

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blogについて

私は小学5年頃から図書室で休憩時間毎に紅楼夢を読むくらい読書は好きであったが、自分で文章を書こうとはしなかった。国語の成績も中の下位。
高校2年時に、誘われて文芸部に入り、頭の中にある散漫なもやもやした思いを文章にすることを憶えた。これはまとめて短い散文集として部誌に載せた。書いて推敲し発表することで、もやもやがとれることを知る。
書かずにはいられない思いは、書くことで癒される。
いったん今まで考えていたことを全部出すことにより、自分をカラにすることができた。意固地な心に少し余裕が生まれた。
他人にみてもらうことで、自分の頭の中では整理できなかったことが整理され、次にどうするかを考える形に進むことができた。
他人のつたない文章を添削するなかで、他人の意図を理解し、それを表現するのにはどうしたらいいかを考える経験をする。
ついでに部誌作り、近所の企業に飛び入り訪問しての広告集めといった作業の中で、社交性の低い私にはいい経験をさせてもらった。
その後、小学生の頃から小説で他人を楽しませようとしたという天才新井素子さんを教えてもらったり、優れた師兄や同級生に導かれて、他人にみてもらう文章、他人を愉しませる文章を書くことを知る。
ばかもの」において「それを大衆にむけてわかりやすく(若しくはわかった気になりやすく)説明してのける技術」と書いたが、独創があるだけではだめで、常識的な文章で表現する技術がないと多くの人にみてもらえない。
余談だが国語の点数が飛躍的に上昇したのはここからであった。出題者の意図を汲むということを初めて考えるようになったためである。設問には書かれてはいないが、試験問題は、出題者の書いて欲しい結論にむけて順々に正解を積み上げてゆくようにできている。”どう考えられるか””どう思うか”などと書かれていても、個性的な解答など期待されてはいない。17年以上かかってやっとわかった。幼児から少年少女への成長は他人の存在を理解することだと思うが、私の場合はこの程度に17年かかった。
地元の予備校に通いながら2浪したが、受験勉強だけでなく、雑文書きもしていて、自転車をこぎながらあれこれ思索した。小説のネタもあるし、随想のネタもあった。今から思えば、浪人生という鬱屈した思いを紛らわせていたのだろう。
また余談だが、諸行無常の公案を得たのもこのときであり、人生の目標を解脱と決めたのもこの時期である。19歳の自分では経験も知識も少なすぎて、覚者として他人を導くなどできない、還暦まで吸収できるものを吸収し、解脱を目指す。今もネットサーフィンしながら様々な人の考えを教わっているのは、この気持ちを憶えている為である。
その後2つの大学に7年、就職して14年たつが、いまだにショートショート程度の長さしか書けないでいる。仕事が終わると弁当を食ってそのまま寝転がる自堕落な生活で、まとまった長さの物を書くという練習が不足している。
隅田清次郎残日録もsuda'swebsiteから4年ほど続くが、他人にみせられる文章というハードルをなかなか飛び越えられずにいる。

blogや日記ページに世評を書く人々について、「空虚な文章」「冷や汗」などで触れてきたが、
ネットの普及により、自分の気持ちを他人にみせる喜びを知った人々というのは、ちょうど私の高校時代のようなものかと思っている。
そこで他人の批評に耳を傾け、同じ問題についての異論を検索し、再考することにより、次のステップに踏み出して欲しいと思う。
周囲が喧嘩腰や追従の書き込みだけではなく、それとなく諭す書き込みをしているblogもあり、希望はある。
一部に他人の批判を聞かない人もいるが、サイトを閉じたり寿命が尽きずに続けていればいつか冷静になる時期もこよう。個人的に腹が立つテーマを選んでくれるので、暖かく見守る気にはなれないが。

ブログについて、このブログについて、雑感」でstandpoint1989さんに書いていただいたコメントに少しは答えられたであろうか


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