獣医科

獣医師の続きとして。
アメリカと違って、日本では獣医師という資格は臨床獣医師と獣医科学者を区別しない。
大学教育も、臨床に特化したわけではなく、動物を使った基礎学問から公衆衛生まで幅広く行われる。
ただ、限られた時間内に幅広いことを身につけるには限度があり
現在、臨床技術の向上の為に、産業動物獣医師にはインターン制に似た制度を用意しているが伴侶動物には、動物病院に勤務しながら各種セミナーに参加することで一定のレベル以上の実力を身につけるしかない。
現在はどこの大学も伴侶動物臨床に力を入れているようだが
15年前には関東一円の私立大学には優れた臨床教育者が揃っていて、優秀な学生が在学中から各種セミナーにも参加していたが
国公立や地方の大学では教育者も授業時間も不足していて、大学を卒業したくらいではAHT(動物看護士)にも及ばなかった。私のいた大学には図書館に犬猫用の専門書が揃ってなかった。
基本中の基本であるPOMRと略される診察手順のことすら卒後知った次第。
今は当時ほど大学格差もないであろうが、基礎獣医科学に力を入れている大学、国家公務員上級職養成大学、産業動物臨床に力を入れている大学など、目的に応じて入学する大学を決めてほしい。有意義な6年間になるように

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獣医師

ちくま文庫の書評にわけのわからぬTBをいただいたので、それについて書きます。
私の職業である獣医師はアメリカでは2つに別れていると聞きました。
veterinary medicine とveterinary science
日本では3本柱と呼ばれていて、公衆衛生、家畜衛生、軍馬・・・っとこれは戦前ですね、最近は動物に関連する研究開発でしょうか、実験動物施設責任者だけでなく、官公庁で企業内で獣医師の果たす役割にはさまざまなものがあります。あなたの身近なところに獣医師はいますってどこかのCMみたいですが、動物のお医者さんだなんて思っていたら意外な処にいてきっと驚かれるでしょう。
私のしている小動物診療は獣医師のごく一部と思っていただきたい

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強い言葉

以前どちらかでちらりと触れたが、私は”言葉”の意味を
辞書に書かれている意味と、一般的概念、その時代・場所においてつけられたイメージ、発言者が目的とした概念などの重層なものにみている。

一番特殊な使用例は、私自身が一般的な使用法と違えることで2つくらいの意味を含ませることで、私の言葉は判りにくいとよく云われる。
例えば「人非人より2」において、獣医師である自分自身を”殺生を生業とする人間”と言い換える。医師・看護士・獣医師などを殺生と結びつけてイメージできるのはその職にある人だけであろう。ぎりぎりのところで生きる助けをおこなうということは、力及ばず死を看取ることもあるという、説明されれば一般人にもうなずける事実は、しかし誰も獣医師を目の前にしてこの人は私の仔の死に関わるとイメージされることはない。
また、普通の人々とレジスタンスを区別していて、レジスタンスを賞賛する人たちと対決姿勢をみせる。
例えば「文明の闇」で”文明”も”文化”も私自身の特殊な意味をつけたことを”という言葉”と書くことで示す。

だが幾つかの言葉はイメージが強すぎて、どの様に使おうと一つのイメージしか持てない。高校で文芸部に入り、他人の文章を批評するようになるとすぐに気づき、できるだけそれらは使わないようにした。
例えば”ピエロ”
単にピエロと書くだけでなく、いろいろな漢字にルビとして使う人もいるが、作品全てが一つのイメージに染まってしまい、独創性が消されて平凡な作品に見えてしまう。
さすがプロの方は「さようならアルルカン」などと独創的な仕事をされている。

平和という言葉もこれに含まれる。
こういうと驚かれるだろうが、”平和”という言葉はマイナスイメージを持たない貴重な言葉である。平和は麻雀は別にして、絶対的ないいもの、誰もが否定しないものとして常識扱いされている。”人道”は最近は地球環境という視点から批判を浴びることがある。”社会主義”も独裁を連想される。”神”はカルトのイメージを持つ。”聖”は古くは高野聖、近年は聖○○学園。”天使”は早朝割引・・・失礼。

だが「平和の欠点を挙げろ」と云われて言葉につまらない人は何人いるだろう。
「わしズム」において挑戦的平和論と題する試みもあったが、編集長の年齢では平和そのものに疑問符をつけられなかった。
平和についての百家百論は、しかし、そのことを逆手にとって
「それは真の平和ではない」
と書き込めばたちまち霧散する。
今まで言葉を連ねた努力は何だったのかとむなしくなる。
なんなら喧嘩にならないですむ相手に試してみればよかろう。

そう、平和とは何を指すかという議論はあっても、平和そのものに否定的な人は去年くらいまでは極少数の変人のみであった。私もその変人の一人であることは自認している。先の命題は高校時代のものである。
昨年”平和ボケ”という言葉が流行ったが、これだけは平和そのものに抵触せずに平和にマイナスイメージをつけた新しい言葉だと思う。この言葉の延長線上にもしかしたら”平和”を絶対神のひな壇から叩き落すものがあるかと思っている。私が気後れすることなく平和という言葉を使えるのはその頃であろう

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云えないこと

プロフィールには明記していないが、あちこちで私が獣医師であることを書いている。
優しいことを書いてはいないので、獣医学的な相談を受けることはめったにないが、あれば受けている。
ただ、質問が個人的なこと、具体的な症状・病気についてであれば、おのれの持つ経験と専門知識から最良の解答を求めるが
一般論や、少し関係のある世論についてのようなものであれば、答えたくとも答えられないことがある。
全くの素人の世間話と、専門家の話では、責任が違う。
例えば、クローン技術や狂牛病について聞かれても、私は答えられない。
専門家の間では、私は小動物臨床の人間として門外漢で通用するが、世間一般の人にとっては自分達より知識のある人間にみえてしまう。
世間話ととらえないで、こういう専門家もいるととらえられると、私が何か云うことで、関係者にご迷惑をかける危険がでてくる。
「李下の冠」は自戒の言葉である。

例えば
逆に迷惑した話だが、
病院に務めている飼い主が、職場の医師に聞いたが、と云ってきたことが何度かある。
正しいことは少なく、勘違いや、飼い主の欲望・願望の押し付けがほとんどである。
ベテラン看護士になると素人の生兵法の危険は承知しているが、
家政婦、掃除婦といった専門知識も専門職の責任の重さもご存じない人にこういう例は多い。
一度など、フィラリア症にかかった犬の飼い主より、
こちらが伝えていたそのこの治療の危険と外科的治療法について、
金目当ての嘘をついた、知り合いの看護婦が治療する薬があると云ったと文句の電話がきたことがある。
具体的な薬の名前は云われなかったから、想像になるが
人にもフィラリア症と呼ばれる寄生虫病があり、治療薬として認められた内服薬がある。
しかしその薬の投与は、犬ではフィラリア陽性犬には生命に関わる禁忌となっている。
他のフィラリア予防薬は人には使わないから、まずこの薬だと思う。
本当のフィラリア成虫駆除は、注射でおこない、死亡の可能性も高い、飼い主にそれなりに覚悟を要求する治療である。
看護士にそのような動物の事情などわかるわけがないし、どこまで説明した上のコメントかは知らないが、素人には同じ専門家にみえたのだ。
二度と連絡はないからその後どうなったのかは知らないが、その看護士に人体薬をもらうにせよ、他院でその話を持ち出して薬を要求するにせよ、よけいな期待を抱かせ、動物に害する罪な一言である。

さて、自分のblogを持つことは、自分の責任範囲での発言を許されることだと思っている。
他人のHPに書き込みにくいことも自分のblogでは書いているが、それでも危険な部分は、「人非人より」のように削除したり、「一知半解」のように新聞社に電話し、不都合の連絡があれば削除しますと伝えている。
責任範囲の認識は個人の判断だと思うが、ネット上で公開する以上、見る人の御意見は尊重したい。
コメント欄もメルアドも公開しているのはその為である。


飼料輸入をしている商社の元社員であることを明記して、BSEや牛肉についてblogに書く御仁がいる。
もともとBSEに限らず、先に私が「一知半解」とエントリーしたような、数個の資料を漁って尤もらしく蘊蓄を書く人だが
BSEと肉骨粉輸入の関係を考えれば、たとえ担当部署は違っても業界人としての反省と責任なしに何かを云う資格があるとは思えない。
これ以上書くなら、古巣に苦情を入れるつもりでいる。これは彼個人の責任で済む問題ではない。
私個人として腹が立つだけでなく、関係業種にいる人間として、
責任ある窓口以外で業界人にとやかく云われることは迷惑を被る。
blogで反論しても聞く人ではないことは、彼に”農業オタク”とあだ名された方のblogをみればわかる。
何度も老人のblogに言及することで、云わないほうがいいことを書き、せっかくの独創的で建設的な論がとびとびになり、もったいないblogになっている。
彼に対し責任ある立場のものを通じて黙らせることは穏当な解決法であると考えている。

以前「ブログについて、このブログについて、雑感」というエントリーに引用いただいたとき、これは御自身でも私のことでもなく、blogranking上位のお二人についてのことだと理解し、専門家としてのハードルの高さを感じない人もいるという言葉でお二人に言及した。
このエントリーは、あのコメントを書き直したものである。

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獣医師教育について

業界の恥をさらすようで、申し訳ないが少し獣医学教育について書く。

戦前の獣医学教育の柱は軍馬であった。卒後将校として陸軍に入るのが一般的な獣医師の就職先であった。
終戦を迎え、陸軍がなくなると獣医師も職を失った。
このときに医学部に習って基本から勉強し直し、それを小動物臨床(当時は犬猫をそう呼んだ)に応用していった先生達が長く動物病院業界をリードしてゆく。
余談ではあるが「本物の獣医・ニセ物の獣医―いいペット病院の見分け方」の著者須磨一郎先生は医学部で学んだ故に日本の医学常識が数十年まちがったままでいることをそのまま書いている。
”椎間板ヘルニアは人が2本足で立つようになって発生した。”これは医学界の話だから私たちには関係ない。しかし、この学説を推し進めて”だから4つ足の動物に椎間板ヘルニアはありえない”と云うのは無責任且つ職域の逸脱である。最近も現実を知って絶句した医学部講師がいたが、今でもそう教えているのであろうか。
著書では椎間板ヘルニアを否定しても、現実に同症の犬が来院する事に対し、”ぎっくり腰”という言葉を専門用語まがいにご自分で定義して書かれている。筋膜性腰痛が医学用語なのだが、数十年前より脊髄造影レントゲン、X線CT、MRIなどの医療診断技術の発達により、犬の椎間板ヘルニアの画像も撮るようになったので、この言葉はあてはまらない。

戦後は畜産振興と衛生管理が獣医学教育の柱となる。馬は農業機械の発達により、競馬界にほぼ限定されてゆく。畜産を目的とした獣医学科の増設が2校認められる。基礎研究に強い北里大学と極端に畜産臨床に特化した酪農学園大学である。
欧米の獣医学も戦後急速に変化した。いい専門書も出て、卒後教育カリキュラムも作られるようになると、留学したり、本を輸入して最新獣医学知識を取り入れようとする動きが出てきた。
小動物臨床業界でもアメリカ動物病院協会に習って、開業獣医師たちの手で日本動物病院協会設立の動きがでる。これは結局まとまりきれず、日本動物病院福祉協会や世界動物病院協会、日本動物病院協会など幾つもの団体がたつことになる。
日本小動物獣医師会、獣医放射線学研究会、小動物臨床研究会など、開業獣医師と小動物に関わる大学講師陣による国内研究環境が徐々にできるが、卒後教育が中心となり、大学教育のなかできちんとした時間を費やされるのは大学格差が大きいので一概には云えないが、4年制から6年制になったここ20〜30年というところであろうか。私の居た頃の酪農大では小動物教育はまだ半年であった。足りない分は大動物の授業内で小動物も教わった。今は格段に増えているという。

現在もまだ小動物臨床教育環境は整備されず、毎年外国に留学させてレベルアップさせた小動物専門の講師陣を揃え、開業獣医師を学外講師として取り入れる大学と、基礎や畜産中心の大学では授業内容もレベルも別世界の格差がある。
アメリカでは獣医科学と獣医学臨床では教育機関が違う。臨床獣医師になるには大学卒業後、臨床獣医学部に入り4年間の専門教育を受ける。その間レジデントの様に受け持ち患者をもって診療・治療に携わる。
日本では6年間のカリキュラムのなかで、基礎・臨床・応用の3分野が同時に存在する。在学中に付属病院見学はあるが、手伝いはしても診療まではできない。
医学界の様なレジデントをうけいれて各専門分野を順にみてまわれる大規模病院は数える程しか無く、学生全体の受け皿には足らない。しかも大学付属病院ですら国公立では専門獣医師が不足している。
免許取得後の教育機関がしっかりしない以上、開業獣医師のもとで一定レベルまで揃える必要があるが、開業獣医師が先に書いたように辞書片手に外国文献を読み漁ったり、医学部に勉強にいった連中である。教育内容も技術レベルも大学以上に格差がある。
恥ずかしい話だが、飼い主側からの要求のレベルアップに、現場でも、教育の場でも答えるべくがんばっている途中と思っていただきたい。

私としては4年制でいいから卒後2年以上大学でレジデントとして診療してほしい。若しくは、4年を越えた段階で仮免許を出して大学講師の指導のもとで臨床に携わる許可がでればいい。大学に専門講師が足りないので、できれば4年いた場所ではない処を2カ所以上廻って欲しい。
現在も研究生・院生として付属病院で勉強する獣医師はいる。ただ、開業してからなる人は仕事があって充分に勉強が出来ないでいる。卒後すぐでなくていいから、若いうちに集中して勉強したい。
井上氏の質問にお答えしたことになるか、いいわけになるかわからぬが、獣医学教育について書いた。現在教育現場の近くにいないので、現状より歴史的な流れについて長々と書くことになったのは申し訳ない。

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ジェンダー論

8月に「日本の貴婦人」と書いたことを蒸し返すが、今日面白いblogをみたのでそれについて感じたことを少し。まだ確たる意見はないので引用・リンクばかりになるがご容赦。

私のジェンダー論は日本のジェンダーフリー運動からみるとかなりいびつなものだと思う。
大学時代に雑誌で読んで感涙したのが「夢の女」という短編小説であった。これはさえない中年男がやっと出来た恋人に失踪されるところから始まる悲喜劇である。ネタばれになるが、ここに思春期に生殖器の発達異常で医師にかかり、男性だっだと診断された2人の”女性”がでてくる。「日本ルイ16世」に収録されているので是非ご一読をば。この本は真性包茎で性交渉不能なのに強姦罪で訴えられた男の話などほろりとさせられる掌編が並んでいる。
また、私らの世代の小説好きにはアイドル若しくは崇拝対象である新井素子女史の「二分割幽霊綺譚」は思春期に女だと診断された”俺”が主人公であった。
ル=グィンやM.Z.ブラッドリーのSFも10代後半から大学時代にあった。
この時期に世間から遅れて萩尾望都の「11人いる!」も読む。「ジョーカーシリーズ」もこの時期であった。

初めてジェンダーという言葉を知ったのがネットを始めてからよくみる「きものくらぶ」の掲示板に登場した三橋順子さんからである。

大学では中性、間性、両性、無性、奇形と様々な性の形を習うし、以後実際に見る。

その様な下地の上にジェンダー論をみていると
isa氏の経験や意見に納得し、林道義氏のHPの主張は9割かた賛成するものの、そこからこぼれ落ちる人たちを拾い上げる理論が必要なことを感じている。
そういえば、表紙右側に紹介している本のなかで崔吉城さんは、男らしくあれという韓国社会のなかで違和感を感じていたとあった。そういうものも拾えないか。
今後の課題にしたい。

今現在のジェンダー教育については、反対する内容が多く、東京都の決定もしかたないと賛成している。
別宅がいつ消えるかわからないから、以前書いたものを引用しておく。

優しい差別 at 2003 09/09 14:52 編集

中日新聞に今どき無意味な討論会のことが書いてあった
家事を女性が行うのは差別だということを子供達に考えさせるジェンダー教育だとか
無意味なのは、最近の児童の何人が家事を手伝っているのかについて一言もないこと。男女差は果たしてあるのかどうか。家事をできない人間が何を云っても机上の空論。男女共に家事ができた上で、女性だけ家事というなら性差だが、男女ともできなくて弁当買いでは性差もへったくれもない。
また、専業主婦、兼業主婦だけでなく、専業主夫、兼業主夫の存在についても触れていないが、現実には存在する。

ついでに歴史的なことを云うと、江戸時代というのは建前としての封建制、男女差別はあったが、抜け道を幾つも用意している。小学生くらいだと理解は難しいが、高校レベルでは諸外国の事情と併せて知っておいていいと思う。
例えば、離縁状は男性しか書けないが、結婚するときに女性があらかじめもらっておいて、必要な時に女性から出すことが侭あった。
それがなくても、数年間の尼僧生活を覚悟すれば、駆け込み寺(縁切り寺)にゆけばいい。
当時の離婚再婚率の高さは世界的に見て特筆すべきものであった。
家事について云えば、台所は女の城と云われ、男性は入ってゆけない女性だけの聖域でもあった。現在でも自分だけの部屋を持つことは難しいと思うがいかがであろう。
江戸時代の差別構造は複雑で、ある意味優しい差別とも云える

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獣医師を目指す人に

臨床獣医師、いわゆる動物のお医者さんというのは生き物の生老病死を常に見続ける商売です。
極論を云えば殺生を生業とする商売、生きた動物の毒を飲ませ、切り刻む商売です。
動物が好きだというなら、やめた方がいいです。
医学界には”鬼手仏心”という言葉があります。
自分が鬼になれないようでは動物を助けることはできません。
仏教用語に”大慈大悲”とありますが、この気持ちがなくては只の殺戮者です。酒鬼薔薇聖斗に堕ちます。
動物が好きな自分を大切に思うなら、糞にまみれ、血塗られた手を持つ覚悟がないなら
別の職業をさがすことです。
動物愛護に携わる仕事はいくらでもあります。
繰り返しますが、動物が好きならやめなさい。
たまに勘違いしている飼主もいます。
とある愛好家に”同じ動物好き同士だから”と云われたことがありますが、はっきり違います。
とあるAHTさんが書いていましたが、AHT(アニマルヘルステクニシャン)若しくはVN(ベテリナリーナース)の仕事の一つに、獣医師と飼主の間に入って両方の気持ちをつなげることがるそうです。
医学用語に”同治と対治”という言葉があり、患者の気持ちになって考えることだけではなく、離れて考える必要もあるそうですが、獣医師も同じです。
繰り返しますが、動物が好きでいたいならやめなさい。

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