NHK「清左衛門残日録」DVD-BOX

ここの名前の由来となった藤沢周平「三屋清左衛門残日録」のNHKドラマが届く。
割と原作に近い作品だったと記憶していたが、改めてみると仲代達矢が枯れていないことに驚く。
佐藤慶、森繁久彌、久米明。俳優としての気迫であろうか。いや皆さん若い。

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接着剤が足りない

映画「NANA」を観ました。
少女漫画は「月刊プリンセス」が中心で、「ボニータ」はあしべゆうほさんで、「リボン」は楠圭さんで読むくらいなので、矢沢あいさんは全く知りません。だから原作がどうだかはわからないまま、話題に乗っただけです。
面白い個性を持った新人さんたちが、一生懸命がんばってるなぁ、とは思います。
脚本も、ちょっとしたシーンや科白が効いていて、場面場面が意味のあるつながりかたで、映画という短い時間の物語にするために過去形にして、必要な省略や配置換えをして今も続く原作にまとまりを与えたのだろうと想像できます。
惜しむらくは、監督が雪国を知らないためか、衣装や小道具に、雪国の人間の生活感や、逆に東京の映像を観てのコンプレックスや雪国らしさに対する反発から、突っ張ったちぐはぐさがみえてこない。札幌の街を歩くと、手袋やマフラー、コートを身につけながら、ミニの薄着にヒールのある可愛いパンプスで雪道を闊歩するお嬢さんをよく見掛けました。男は突っ張ったふりをしても、防寒はしっかり考えています。「そうさ死んでも春の服を着るよ」という歌をよく口ずさんだものです。部屋はしっかり暖房する。春の服で死なない為には、外に出る前に汗が出そうなくらい体を暖める必要がある。というような、ちょっとした雰囲気作りがあればよかったと思います。
それと、ライブとコンサートの違いが強調されればよかったかも。ライブを綺麗に撮りすぎている気がします。
まぁ、自分としては満足できた映画です。

さて、最後に悪口をば。
成宮寛貴さんは、うまい役者なんでしょうが、自分一人で演技しすぎて、次々と映画やテレビドラマを壊しているようにみえます。彼のうまさはどの作品でもよくわかります。しかし、共演者の下手さがいつもめだってしまう、今回は脇役なのに、彼が演技をする度に、彼に目がいってしまう。ベテランたちの間に食い込んでゆく必要のある舞台じゃないんだぜ、まだ経験の浅い共演者たちをちゃんと気遣ってんのかこいつは、と腹を立てて彼の演技をみていました。
芝居はお互いの演技のキャッチボール、共演者の個性をうまく受け止めながら自分も存在感を出してゆく。実力の伯仲した役者同士のライブなら、物語を少し壊すくらいの個性のぶつかりは却って面白さを増しますが、映画やドラマは破綻しない気遣いが要求されると思います。成宮さんは、それができるくらいの経験を持っているはずです。

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エロオヤジの呟き

李紅竜と並ぶ初期代表作のDVD「キカイダー01」BOXが届く。
悦ちゃんの初々しいミニ姿を今夜じっくり楽しもう。

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犬猫

最後の藤田陽子さんの下着姿のシーンがよかった。といってもスケベ心ではなくて、精神的な”脱ぎ”を映像的にみせた、それまでのキャラクターの奥にあるものを表現してもう一度観たくなる映画に仕上げたという意味である。
別のHPのオフ会企画として、着物で映画を観たあと呉服屋さんで喫茶軽食ということにしたが、偶然名古屋シネマテークの「犬猫」が監督挨拶ありということで、内容も監督も知らずに決定。
参加者は初めてのミニシアターということで、映画内容と同時に独特の雰囲気を楽しまれた様子であった。いかにも映画フリークというジャンバー姿のおじさんたちに混じって若いお嬢さんがいたし、定員オーバーで座椅子を出していたのは私も初めてだった。
具体的な内容は公式HPや紹介記事を参考にしていただくとして
明るくて、ちょっとおつむが弱くて、料理好きという一緒にいて疲れなさそうな男の理想的な彼女だったスズがドロップアウトしてゆく、ヨーコは逆にスズに対するコンプレックスを抜けて、すっきりした顔で犬の散歩をする。
最初に同棲した男の態度に腹を立てて飛び出すものの、猫なで声で猫を呼んだり、ヨーコの好きそうな男を家に招き得意のカレーを3人で食べようとするがヨーコが出ていくと彼には帰ってもらう、外泊したヨーコの帰りを待つ間にケーキを作るなど、結構人好きで可愛く気配りをしているスズが、最後に服を脱いで布団にくるまり独りになる。今までのにこやかな表情が落ちる。ヨーコがわざと持ち帰った元同棲相手のタバコを一口吸って火を消すのは男をふっきったのかな。
ちょっと古めかしく作りたかったということで、大道具小道具に懐かしい物が多い。
パンフレットにサインをもらったときに訊いたのだが、彼氏のタバコが今どき珍しいハイライトなのも、監督が和田誠さんの変わらぬデザインを気に入ってのことだそうで、キツさを知らない西島秀俊さんが倒れたらしい。役者も大変だ。榎本加奈子さんがむせたのも、藤田さんが一口で吸うのをやめたのも、もしかして演出意図ではなかったかもと想像してみる。監督にそこまで確認すればよかったかなと後で気がついた。ちなみに私はピースが胃に重すぎる時にハイライトマイルドを吸っていました。

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川本喜八郎監督

ひとコマサポーターの一人として、たまに覗いている公式HPによると今月11日が監督の誕生日だったという。
制作日記によると映画「死者の書」の撮影も順調なようで、クランクアップ間近との由。
おめでとうございます。
あとは資金面と公開方法であろう。
人形劇三国志など、喜八郎監督が好きな人はぜひサポーターやウェーブになって欲しい。

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いま、会いにゆきます

休日にもかかわらず、いつもと同じMOVIX三好のレイトショーに「いま、会いにゆきます」を観にゆく。
始まって1/3か1/4くらいから激しく後悔した。

何で俺は深夜一人でこんな映画観てるんだ!!
隣からポケットに入ってくる手のないことが切なかった
何であの人を誘わなかったのだろう

一人で鑑賞して、出来がどうこう云うなんて虚しいだけ
ネタばれになるが、夫と小さな子供を持つ喜びを観せつけておいて
終わってから映画の真似をして
”君の隣はいごこちがよかった””君をしあわせにしたい”
って云うしかない映画じゃないかよ

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珈琲時光

名古屋シネマテークで昨日までと知り、急遽予定を入れる。

最後に4本の電車が交差する。
本作のテーマはこれだったかと思う。
電車が意味するもの、交差する駅、珈琲時光。

監督は空間を描く。陽子の住むちゃぶ台のある部屋、実家のコタツテーブルのある茶の間、台所、喫茶店、古本屋、駅、2人の向かい合う電車の中。ここのところアクションものをみてきたので、新鮮に思えた。

また、大都会ではない東京の姿は、大学時代に友人に連れられて歩いた街であった。
東京オリンピックの年に田舎に生まれた隅田は、ぎりぎり高度成長によって変わる前の日本を知っている。
この映画の中に隅田も懐かしさを感じた。
しかし監督は決してノスタルジーで撮ったのではないという。
スタジオではなくロケによって現代日本の姿を活写した。
誰かが云っていたが、日本という国は最先端のビルの上にお稲荷さんがあり、お参りする人がいる。
呉善姫さんだったと思うが、日本にはかっての古き良き韓国の風景が残っているという。
日本文化の厚みというか、地の果てのふきだまりというか、英国と共に海賊特有の収集癖の強みというか
古い風景が、残っている処には残っていて、現代的な風景ときちんと共存している。
神田を知らない地方の若い人が、この映画の風景をどう感じるのか知りたくなる。

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隠し剣鬼の爪

評価の難しい映画
藤沢周平は海坂藩という東北の片隅を舞台にした読む人の心に沁みる小さな物語を書く。架空の世界に引き込んで酔わせる。
映画は多くの人に共感を与え、何度も足を運び、周囲に推薦してもらうことで興行として成り立つ。
時代劇は舞台は過去でも、現代とつながる部分がたっぷりないと2時間という限られた時間で共感してもらえない。
細部にこだわりリアルであろうとすればするほど、現代が不足する。
私のように藤沢中毒にかかっていて、藤沢の雰囲気に酔いたい御仁には、時間を忘れる楽しいひとときであるが
普通の人たちには慣れるまでに時間がかかって感動する余裕もなかろう。
本当は旅行前で映画館にゆくような時期ではなかったが、来週以降上映回数が減らされ仕事を終えて寄れなくなるたため、無理をしたが、減らされるのも当然の入りであった。

殺伐とした時代に逆らいたい監督の気持ちが伝わってきた。
高島礼子の着物姿を初めて美しく感じた。武家の女房にはまだみえないが。
永瀬正敏は彼らしさを朴訥な下級武士という役柄の中でよく表現していた。
小沢征悦は現代につながる役をこなした。
田畑智子は下級武士の娘から百石取りの奥方になる差を共演者・スタッフ・衣装に助けられながらこなした。
ベテラン陣はコミカルなまでの人間くささでもって敵役を演じていた。

そして、松たか子は現代人とは違う”きえ”の明るさを(ラストシーンはわざとなのか少し違ったが)演じている。
以前から思っていたが、松という女性は77年からの短い人生の中で何をみてきたのだろう。
同年代の女性どころか私の世代の女性よりも深みのある表情をする。
物心つく頃より辛酸をなめてきて、大人達に混じって必死で金を稼いだ子役スターとも違う
お嬢様・お姫様の上品さ・闊達さとも違う。
気にはなっても私には怖くてファンになれない、不思議な女優さんだ。

おまけ
DSCN0661.JPG
今日の服は出羽木綿を中心にした土豪、百姓風
お武家は裸足が普通だし、羽織も違う。
商家の旦那風の着物をアレンジした現代の教本的な着物とは違いますが、この映画にはあっているかなと思う

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2046

愛の迷路に入り込んだ男の物語。
2046とは止まった時間と凍り付いた心。
たった一人傷つきながら抜け出そうと、いつ駅につくかわからぬ列車に乗った小説の主人公は「心など初めから無かった」と叫んで2046の住人になる。

映画が終わって帰りしなに、娘さん達が「チャン・ツィイーが可哀相」というのを聞く。章 子怡は香港性工作者を演じるにはまだ田舎娘なのだろう。
今回、彼女は言葉と口元と眼が違う感情を表現するような複雑な演技を要求されていた。「十面埋伏」の2つの心でさえ演じきれなかった彼女には、成長の跡はみられるものの難しすぎた。
科白に忠実な感情を全身で表現することは、「英雄」までなら褒められたのだが、今回は営業用の感情演技とその下の意志、もう一つ下の心。男の押しの強さに徐々に負けてゆき、愛を求めるまでに弱る心と、プライドとの葛藤をどの様に一度に表現するか。それも性工作者の手管かと思わせる妖艶さは年齢的にも無理だろうが、一途に激しすぎる欠点はいつかは直さないと先が無い。
梁 朝偉はいつも優しい眼を絶やさない。 それは凍り付いた心。変わってゆく子怡と対照的。
木村拓也は小説の主人公であると同時に梁 朝偉の投影であるという。それにしては熱い眼をしている。ただ、もしかしたら演出側の要求かもしれない。小説の最後に2046の住人になることで醒めた眼をするようになるということで、過去の梁朝偉か、梁朝偉の醒めた眼の奥の秘められた心を表しているのかもしれない。

梁朝偉は変わらないということのために女優達を贅沢に消費する。小説であればいいが、映画ではそれぞれの女優のファンに怒られないのかなぁ。

ps.
仕事しながらふと考えた。何故60年代なのだろう。
この映画の舞台は60年代。2004年に何故60年代の映画を上映するのか。
私は未見だが、前作があるという。続編だからというだけだろうか。
この映画に登場する女性は古めかしい。60年代よりももっと前、(映画中に梁朝偉からの贈り物として出てくる)ナイロンストッキングが流通して強くなる前の女性っぽい。
もしかして、梁朝偉扮する主人公もまた、小説中の人物なのだろうか。
全てはボギーやローレンス・オリビエ、クラーク・ゲーブルの時代のハリウッド映画を懐かしんで或る人が書いた物語
ふとそんな気がした。
ノスタルジーを感じない若い世代には意味不明の映画になったかもしれない。

ps2.
カップルで観るのはやめた方がいいかも。
男の優しい目の中に梁朝偉と同じ醒めたものを見つけられると、3600円+食事代が無駄な出費になるやもしれぬ。

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デビルマン

阿木耀子さんが観たくて映画館にゆきました。
酷評は承知でしたので、kossyさんの様に良い点があればもうけものというつもりでした。
だから耀子さんの出番が少ないことに怒っています。せめて死体だけでもちゃんと正面から撮ってくれよ。

テーマはヒューマニストによるヒューマニズムの問いかけなんでしょうか。
永井豪作品は、人間に対する絶望が根底にありますが、映画スタッフには無いのでしょう、人の醜さを一生懸命作ろうと努力した跡がみられます。
狂気の怖さも知らないのでしょう
デモに参加した経験、集団に襲われた経験も集団で襲った経験も無いのでしょう
ただ機関銃を乱射すれば、ナイフを振り回せばいいんじゃない
がんばっているだけ、下手さが目立ちます。背中がむずむずしたり、眼をそむけたくなる薄気味悪さがありません。
デビルマンが人間でいるために、ひら手美樹を必要とした理由。彼女を亡くした後に戦う理由。わからないかなぁ。
永井豪氏には、特別出演より、そういった人間のマイナス面を取材すればよかったのでしょう。宮崎学氏でもいい。
したり顔で書いていますが私はまだ40、安保闘争の頃は子供です。しかし、同じ頃に集団に囲まれて石つぶてを投げられたこともあるし、数人に一人で喧嘩したこともあります。相手の弱い部分(優しい子供)からつぶしていってあとで教師に怒られました。余談ですが、以前テロ支持の記事をエントリーした処にその経験がいきています。

本来原作のボリュームからは3部作くらいにしないと作れないのに、時代がみえるだけ焦ったのでしょうか
美しいシレーヌの物語を尻切れトンボにして飛鳥に語らせてしまった
デビルマンとして人を守るシーンが少ない
だから世界が牧村家周辺と狭くなっている
基本的な日本映画の欠点として殺陣の訓練期間がないので、役者の動きが出来ていない、気合い・叫びに迫力がない
など欠点は数えられません

不動明の物語で語れない部分をミーコとすすむの物語として作る
ボブ・サップのナレーションによって時間を端折る
などのうまさがあるぶん、スト−レートに下手なキャシャーンに迫力負けしたかな


今年は反戦メッセージを含んだ映画(ラストサムライもそうだと思うのですがねぇ)が幾つも公開されました。
人々の危機意識の高まりを感じます。
もはや戦後ではなく戦前だというのは真実なんでしょう。
宮台真司・宮崎哲弥といった秀才たちが時代を掴む言葉を探し出せるかがポイントか。
社民党や左派運動家の残党には、これ以上食い物にするな、平和運動のじゃまをするなとしか云えない。上っ面しかみえなくて、彼らの美辞麗句に紛れ込ませた毒におかされる若者を増やして欲しくないです。

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