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門灯

原付を修理に出している間、30分以上の徒歩と電車、バスと乗り継いで通勤していた。
仕事を終えて駅から家に歩いていると、街灯のある広い路は明るいが、少し狭い路に入ると真っ暗だということを知る。
小学校の横も通る。朝は小学生で溢れていた。
OLも女子高生も通る。
果たしてこの路で、犯罪防止や救難、犯罪者目撃は可能なんだろうか。
住宅地である。路の左右は人家なのだ。
大声を出せば助け手は現れるかもしれない。しかし、とっさの恐怖にその大声を出せる余裕があるとは思えない。
人家の扉が数歩さきにあるというというのに安心感が生まれない。
それどころか人家が暗闇を作り出す。

和歌山にいた頃には、ほとんどの家やアパートには門灯・玄関灯があった。
それはおそらく夜の訪問者や緊急電報に備えてのことだっただろうが、同時に夜道を照らす町内の共同体意識もあると思う。
そこに家がある、知り合いがいるという安心感があった。
夕刻になると部屋よりも真っ先に門灯に電気をつけることは子供の頃の習慣として親に教えられた。
定年ゴジラ」に、通勤がなくなって玄関灯が切れていることに気づかないという話があったから、その頃まではまだ習慣としてあったのだろう。


20年たった茨木のこの路では、お店は、それでも明かりのついたものが多いが、民家・アパートは10件に1件ないだろう。
帰宅の遅い一人暮らしならまだしも、主婦や子供のいそうな一軒家、戦前から建ってそうな農家造りの家ですらだ。
街灯が増えてゆくなかで、門灯・玄関灯が消えてゆく。人々の意識の変化をみるおもいがした。
公共というのは役所や警察、学校だけのことだろうか。
自分たちが周囲に背を向けながら、誰か担当者を捜してなんとかしろという。
監視カメラを付け、セキュリティサービスと契約して。それで全てをカバーできるというのだろうか。

瀬戸さんの問いかけに直接答えることはまだしばらくできそうにないが
少し関連付けての話題を提供できたであろうか

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コメント

家も玄関灯はついていますが、
近所はほとんどついていませんね。
最近の流行はセンサーライトらしいです。
車庫につけようかと検討中。

投稿: ずず | 12月 28, 2005 21:45

おはようございます。
リンク有り難うございました。

とても懐かしい情景を思い出しながら読ませていただきました。
そう言えば我が家も電灯をつけなくなって久しいなとちょっと反省。
町から明かりが消えていく、、、
なるほど、そんな意味もあるのかと考えさせられました。
「公共」とは確かに人の気構え、心構え、門構えであるのかもしれません。
社会が優しく機能するとは、そうした小さな事にも現れてくるのでしょうね。
本当に示唆に富む記事、読ませていただきました。

そうそう、ナルニア、もうすぐですね。楽しみです。

では、良いお年をお迎えください。
来年も宜しくお願いいたします。

投稿: せとともこ | 12月 30, 2005 06:29

コメントありがとう御座いました

>ずず姐さん
車庫のあたり暗いですね。
センサーライトって近くでいきなりつくので、わかっていても毎回ドキッとします。

>瀬戸さん
高槻や茨木でも、こども110番という札をつけた家や自転車にパトロール中という札をつけた人々がいます。その気持ちをどう生かすかのアイデアをいろいろ出し合って、街全体として子供達を守れればいいですね

投稿: 隅田 | 12月 30, 2005 07:23

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