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今から誰を入れるのか

国立追悼施設について木走氏がエントリーされている
130人もの議員さんが賛同されているというからには、今後も具体的な活動が続くのだろうが
私としては、ごく単純な疑問として、いったい誰を入れようというのかがわからない
靖国が、日本にナショナリズムをつくる手段として用意され、軍人・軍属他、明治国家に貢献した人をまつり
幕府方戦没者は清水次郎長や榎本によりまつられたことは以前書いた。
いまさらに戦没者追悼を口にする以上、その目的と入る人を具体的に説明して欲しい。
あたりまえのことだが、本人・遺族の承諾なしに追悼することはしてほしくない。
靖国関連裁判の幾つかは、遺族の宗教的その他の信条により、勝手な祭祀をやめて欲しいというものである。
無宗教だろうが、この点は全くかわらないはずだ。
過去にさかのぼった追悼は遺族一人一人に確認してからおこなうのだろうか、
遺族の生存していない人、確認しようのない人はどうするのか
それとも、既に一体となられているので分祀不可能として、確認なしに靖国の名簿全員の移動か転載を強行するのだろうか。
私は、祖父を一族の氏の神として累代の墓に祭祀したいので、これ以上一族の外に持ち出され利用されたくはない
もし強行されるおつもりなら、反対署名、裁判その他の運動をおこさせていただく。

過去の殉難者は靖国にまかせて
今後の戦没者、平成殉難者を追悼するということであれば
つまりは殉難者の増加が予想される事態を想定する必要とする
今後普通に戦争をする国にしようというウヨク活動の一つとして理解すればいいのだろうか。
自分の遺言状に、追悼施設での追悼拒否を書けばいいのだろうか。
未来も個人の意志とは無関係に追悼するので、そのような書類は無効と仰るのだろうか。
殉職自衛隊員及び公務員のみに限るなどの制限項目をつけるから、そのような不安は無用というのだろうか。

聞こえはいいかもしれないが、具体的なことをちょっと考えると
だいの大人がなに暇にあかせて遊んでやがるとしか思えない。

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幼稚至極

くまりんさんが呆れたと書かれている。さすがにくまりんさんだけあって喩えかたが飛躍しているが、ジェンダー論以前の問題だというご指摘は見事
で、さっそく当のご本人のHPをみる
イダヒロユキさんの日記を見る限り、私も呼びかけ人の資格無しというしかない。
「その後、個人的に数名の方が入っていかれたということですが、それは個人の判断です。私個人は、山に入る人がいるのも、それはその人の思想の表れで、そうした人も含めて話し合いが行われていけばいいと思っています。考えが異なる人がいるのは前提ですから」
自分が呼びかけた以上、その行動がきちんと終わるまで集団を監督する責任がある。後日勝手に登ることは個人の考えでいいが、当日下山までは団体行動する必要がある。特に今回は登ることが真の目的ではなく、女性解放運動の一環として、女人禁制を改めさせるデモンストレーションが目的のはず。会場で解散したからあとは知らぬというのは如何なものか。
「登ったことで、地元の人たちが「やっぱりひどいやつらだ」とおもって、今後の話し合いの場自体がなくなるのは望むことではないという思いがおおくのひとのなかにありました。」
と自ら書いたことが正しい。一方的なものにせよ約束を違えた以上、2度と話し合いはないし、登山者と呼びかけ人には求めることも許されないと思わなくてはならない。その自省なしに自分の意見の理解だけ求めるのは、
「話し合いをしません、意見も気持ちも聞きません、質問にもお答えしません」
ということと何らかわりない。
他者に向けてのアピールに、他者の目にどう映るかを計算しないというのは、幼稚至極。
園丁日記さんが「解散のフリして入山した段階で正当性無し。」と仰ったとおり。

着物愛好家のHPをいろいろみるようになると、単に綺麗な女性の着物が着たいだけの人から、女装趣味、性同一障害までいろいろ知るようになる。このような非常識な人間は極少数であり、ほとんどかたまって存在することもみえている。これがジェンダー論にならないことを願う。

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かって華月漣さんについてエントリーしたが、昨日は仕事が終わってから芦原ミュージックまで遠征というものをした。
かって岐阜の方のHPで、名古屋から仕事後に通うという話を聞き、大阪ならば同じじゃないかとやってみた
7時少し前に出発、9時半着。ちょうど漣さんの前の方が終わるところ。ラッキー!
芦原ミュージックは、忘年会シーズンには少し早いはずが、温泉客の浴衣姿で2階席まで立ち見客があふれていた。あわら温泉の実力をみた思いがする。
困った泥酔客もいなくて、常連の拍手についてきてくれる。
踊り子さんはこういうときには輝くもので、皆さん気合いが入った艶っぽい踊りをする。
漣さんは新作か、スローに魅せるパート、踊りの実力をみせる激しいステップと細やかな腕の表情のパート、今回は元気娘ではなく大人っぽくきめていた。「月の華」という作品らしい。持ち時間が削られたためか、曲にあわせてかひょうきんな客いじりも今日は少な目。
1時前から、途中仮眠して6時過ぎに帰宅。
これなら雪のない季節にはまた遠征できそうだ。
次は広島まで日帰り新幹線。
こういう無茶は何か理由がないとやる気になれない。いい機会をくれた麗しの舞姫に感謝。


そろそろ仕事にいってきます。

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shed crocodile tears

この言葉を知ったとき、なんて素敵な言葉だと思った。
憎悪や狂気でなくして殺生をするのに、泪なくしてどうする。
獲物は食らうべし
泪おおいに流すべし

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殺すってのはやなもんですぜ

standpoint1989さんの「たゆたえど沈まず」で人を殺すということについて書かれていた。見事だと思う。他にも総さんなど議論があるようだ。
私自身の意見はかって「コロセアムの上と下」で書いたことでいいと思う。
自らすすんでであろうが、しかたなくであろうが、死んだものの生命を背負うことにかわりはあるまい。
また、他の人のblogに書いたコメントもあげておく。イラクについて書いたことなので、少しずれるが、ご容赦いただきたい。
「私はレジスタンスでもテロリストでも殺人者になることを否定はしませんが、なった人間は普通の人と区別します。理由の如何を問いません、目的方法は違えども医師看護士も含めます。一線を越えてしまった人は死に対する感覚が違ってしまいます。冷酷なようですが、一生消えないでしょうね。抵抗できずに死ぬのとどちらが幸せかは一考の余地ありです。戦争は直接的な殺人や破壊だけでなく、その様な殺人者を今後増やすような行為として反対します。」

被害者はまだ意識不明ということだが、加害者のためにも助かることを祈る。

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きもの日和からほり日和に行って来ました

きもの日和からほり日和に参加しました
まずは詩の朗読「きもの勇気の詩」上田假奈代さん。緩急、柔らかい言葉とするどい言葉。見事
その後、メイン会場を出て根付け自作体験。下の写真。きつく絞めるのは職業柄得意だが、バランスよく締めてゆくのが難しい。
周辺の街歩き、会場案内のついでにパンフレット配布。ついでに道草「おうち de CAFE
野生の梨イワテヤマナシを使ったお菓子とおいしいコーヒー

高田靖子さん、カオリーニョ藤原さんの「きもの de Bossa Nova」
いい意味で期待を裏切られた。典型的なBossaだけではなく、日本的なラテンというのだろうか、民謡やフォークが混じった面白いリズムと透き通る声。休日が合えば是非コンサートにいきたいと思う。

KC240002

DSCN1973s

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きもの日和

日本全国きもの日和が明日にせまってきた。
まだ2回目なので、どういう結果になるのか予想がつかない。
無事盛況に終わることを期待する。
個人的にはボサノバの生を聴くのが楽しみである。


下の写真は当日会場で販売される”kimono人”と一緒におくられてきたものだが
からほり日和でも
オリジナル手拭いを用意している。


DSCN1940s

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