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たまには着物の話も

ここは有意義な情報発信基地じゃないが、たまには関西の着物関連情報を書こう

広島の早坂さんのHPがいつの間にか新しくなっていた。イベントやら出版やらが表紙にでていて、新聞のよう
着物deからほりは、からほり町おこしの一環として企画されたが、11月3日の日本全国きもの日和に今年も参加するようで、今度のオフに記念写真集に掲載する写真撮影を行う由。興味がある人はからほりお屋敷再生複合ショップにある”装和きもの学院 ・ salon de ありす”にお聞きください。
きもの日和in名古屋はずずさんちでこれから企画会議。

梅田の毎日文化センタ−で”初めての着物”という講座があるらしい。興味あるが金曜日なので参加できない
京都では”きもの学”という講座があるらしいが、そのころは富山の山の中で盆踊りを見ている予定。

というのは、9月1日〜3日まで、富山市の八尾で風の盆が行われるが、夏休みをとって見に行きます。雨天中止なので、2日間用意したが、台風などの長雨がないことを祈る。写真はnikonイメージングにでもあげる予定。
と最後は個人日記に戻って終わる。

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お会いしたい

日本史を読むと様々な名字に出会う。

鈴木氏や和田氏は雑賀(さいか)党にその名がみえるが、珍名じゃないので、和歌山に限らず実際に出会うことに不思議はない。
他に、和歌山らしく紀氏の書き換えである貴志、岸は多かった。珍名では塙坂(はねさか)、垂井(たるい)、玉置(たまき)、丹生(にう)、宇治田(うじた)や吉垣内(よしがいと)なんて地元民でないと絶対読めないだろう名字があった。
中谷(なかや)、経ケ阪(きょうがさか)は和歌山出身ではないが四国や兵庫から来たと思われる。
九鬼(くき)、糟屋(かすや)、長屋(ながや)、丹羽(にわ)、加納、水野など史上有名な名字なので出会うとわくわくする。

長束(なつか)、<松浦(まつら)にも是非お会いしたいと思いながら果たせずにいる。
カルテに似た名前をみると必ずお聞きするのだが、いつも「ながつか」さん、「まつうら」さんである。

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伊藤正徳氏

この人の著作を読んで、歴史観が変わったのみならず、人生観が変わったかもしれない。

それまでも単純な戦争反対、平和論には賛成していなかったが
明治生まれの曽祖父の云った、資源豊富なアメリカと戦争して勝てるわけがなかったという意見を信じ込んでいた。
伊藤氏の著書を読むと、日本海軍の猛攻にアメリカ海軍は徳俵に片足を乗せるくらいまで追い詰められていたことがわかる。
豊富な資源・巨大な軍事力どころか、新しい花形兵器である航空機を運用するための空母が1隻も活動できなくなっていた時期すらあった。
以前も書いたが、私はアメリカ軍を職業軍人ではなく百姓が雑草・害虫にむかうような戦い方をする軍隊だと嫌っていた。しかし、彼の著作を読んで、強靭で健全な精神力を持った人々だったと少し考えを改めた。

日本国軍は四百人から始まった。その他は藩兵・私兵であった。司馬遼太郎氏が勝安房を幕末ただ一人の日本国民と呼ぶように、その四百人も国民意識、国軍意識をもっていなかった。
徴兵制と靖国神社によって肉体的にも精神的にも国軍を創設し、日清・日露に勝つことで、日本国という意識を国民に広く植え付けることに成功した。余談だが、私は個人としては靖国神社を好いてはいないが、日本人が生まれる基となったという意義は肯定的にみている。
軍閥と政治家は維新後その道を別ったが、興国という目的にむけて協力していった。その努力には敬服する。

「軍閥、その人を得て、一小国を大国に導き、その人を誤って之を失う。そうしてこの盛衰得喪は、同じ日本人の手によって為されたものである。そこに多くの大なる歴史的反省がなければならない。」
軍閥興亡史の一言であるが、至言である。
歴史的反省とは驕り、油断、甘えがどこにあったかを考えることであろう。


ただ
軍人は政治に参画すべきでないという彼の主張は19世紀としては100%正しいであろう。
しかし、20世紀・21世紀の民主主義という国家形態は軍人もまた主権者として政治に参画する義務を負うことになると思う。
どの様な形をつくる必要があるのかは、私はまだ確たる意見をだせていないので申し訳ない。

私は全てのものに長所と短所が存在すると考えている。
だから、平和にも短所を捜すし、民主主義にも短所を捜す。
過去において君主やその代弁者たる政府を攻撃するテロは、市民より為政者・君主一族が対象となった。民主主義政府においてテロの対象は市民全員である。
非戦闘員・プロの戦闘員の区別は民主主義国においてどこまで可能であろうか。女性も老人も主権者であり、戦争遂行の意思と責任を負う。
民主主義の上に存在する戦争という概念は、君主制や封建制下の戦争とは違ってきて当然だと思う。近年戦争がより広範囲に、より悲惨になることをただ非難するのではなく、何故という問いかけをする必要があると思う。
てなことをつらつら考えてる。
虚無や無政府主義に陥らずにすむためには民主主義より立憲君主制のほうが健全かとも考えてみる。

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あなたの共産党支持度がわかります

左記のくまりんさんがリンクされている木走正水さんが「共産党公約をコンパス風に評価してみる」というエントリーをあげられた。

日本共産党は労働者の団結のはずが実態は東大出身者をトップに秀才の集まりで、本音と建前、言葉遊びがひどくて、信用する気にはなれないが、ないと世の中がつまらなくなるので、選挙時にはよく投票してきた。
今回の公約もいつものように裏読みして笑うだけではなく、木走氏の採点方法に従ってみる。

自己採点してみると
1.(-1)必要な増税をためらうと、あとでもっと大きな増税が必要になる。
2.(-2)共産主義と憲法の矛盾をどうする気なのだろう。
3.(-1)明治以降の複雑なアジア情勢を単純化しすぎている。
4.(-2)アジアと世界の違いは何なのだろう?もしアジアに太いパイプを持っているなら、公約する暇があったらさっさと使って実績を示しなさい。実績がなくやる気だけなら、結党以来あちこちの共産党・社会党・共産ゲリラと喧嘩しかしてこなかったと反省してからにしなさい。”積極的”という言葉が遊びにしか聞こえない。
5.(0)国民の”運動”という言葉の意味を考えたい。市民運動・市民活動という言葉がマイナスイメージを持ち始めたとたんに言葉を変えて内容をごまかすのか
6.(+2)異論なし
7.(+2)分割民営化という言葉がでた20年くらい前から郵便局のサービスは飛躍的に向上してきた。現在のサービスを続けるなら民営化はいらない。ただ、脅しがなくなればまた悪くなるか心配。分割民営化は定期的に議題としてあがったほうがいいのかとも思う。

トータル-2点でプチ保守でした。
これからも共産党を応援しつつ保守的な?エントリーをあげてゆく所存です。
宜しく。

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日本社会で生きるということ

日本社会で生きるということ」阿部謹也著朝日文庫を読む。
山本七平の「空気の研究」は読みはじめでストップしたままなのだが、まずは”世間”から勉強する。
司馬遼太郎は「公」を云い、最近nagoyanさんのところでも取り上げられたが、少し関係するように思う。
世間という感覚と個人を対比させて面白い。個人が生まれる前の古い倫理として世間をとらえているようで、上の世代の感覚とはこんなものかと少しひねくれて読んだ。団塊あたりには耳に入りやすいか。惜しむらく、講演集のため、中途半端な入門編と講演場所に関する話題で終わってしまっている。世間についてはもっと深く知りたいので作者の別の本を読もうと思う。

実は「歴史と文化が日本をただす」と同時に借りて読んだ。
こちらは自国の歴史と文化に基づいた憲法を作ること、大日本帝国憲法の見直しなどを主張する。日本は決して個人が成り立つ前の古い世界じゃないということで、真っ向から対立する内容である。

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AMDS

AMDSのメルマガを数種購読しているので、AMDS Reportというメルマガが届く。
いろいろな女性のインタビューがあったりして、これがまた面白い。http://nkm.amds.jp/是非ごらんあれ

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帰省

実家に帰ると、弟が2chのハン板を読んでいた。
ただ、彼は私と違って素直に笑うだけで、
ハン板の基礎教養といえるじじ様剣道の起源は韓国にありも知らなかった。
同郷のユウコの憂国資料室も知らなくて、もしかして只の2ch中毒患者なのかと心配になる。
もしこのHPをみたなら、上の3つに加えて電脳補完録くらいはおさえてほしい。
余裕ができたら左のリンクにある「てつ」さんや京都のかこさん、愛・蔵太の気ままな日記などに目を配ると同時に
半月城通信ハンワールド、趙博氏のHPなどで違う意見も知ってほしい。
その上で、2chのにも笑いはあるのだとわかれば、2chからの離脱が容易になるだろう。
情報に惑わされないで、情報を遊ぶ。2chという遊び場をうまく使いこなすということを憶えてほしい。

しかし、ハン板がどういう場所かだとか、真面目な韓国情報は別の場所にあるということすら私に云われるまで気づかなかった純朴な弟にそこまで可能だろうか?ちと不安

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教科書問題の訂正

以前歴史公民教科書を読むというエントリーで、教科書は私の頃と比べて各社良くなってきていると書いたが、東京書籍と帝国書院の社会科地図は悪辣な内容だったとわかる。
詳細は「台湾の声」をご覧あれ。
台湾が一度も中華人民共和国の領土になったことがないことは、教科書作成者たちも承知している。
地図に於いて、大陸は○○省だとか、○○自治区と書かれているが、台湾はただ台湾とのみ書かれている。
今はまだ中華民国台湾省のはずなのだが、台湾省と書くとまずいのだろう。
責任のがれに「中華人民共和国行政区画簡冊1999年版」「中国地図集ほか」とかくところもいやらしい。
こんな2社の教科書はどれも使うべきではない。

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毒草を食べてみた

趣味と実益を兼ねて植松黎氏の文春新書の本を読む。講談社から出された「毒草の誘惑」はカラー写真とイラストが毒々しく、体験記が見事であった。
本書は植物の数を増やし、歴史的なエピソードや医学・薬学知識を多く入れている。
ここに記載のあるベラドンナアルカロイドは、書かれているように解毒薬・治療薬・麻酔前投薬・麻酔管理薬として、職場できらせたことがない。
前著とは別の本になった観がある。
尤も、臨床獣医師としてはこちらのほうが実用的である。

観葉植物をはじめ、中毒事故はよくある上に、飼主の稟告漏れが多く、症状をみてこちらから誘導尋問的(いきなり毒物などというと、飼主は動物の命より自分のミスをさらけだすのを避けて否定してしまう)にさぐりを入れる必要のあることが多い。専門書では簡単すぎる部分を補う為に、この手の本は見つけ次第買うことにしている。

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