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みたらし祭り

麻生圭子さんのご本でみて、
土用丑に京都下鴨神社の御手洗祭りにゆく。
冷たい水にひざ下までつかって歩く。ろうそくの火が風に消えては途中に引き返すうちに暑さを忘れる。
着物でいったので、裾をはしょって帯に挟む。少し濡れたが、千小谷麻なので出てすぐに乾く。
つかったのは足だけだが、その日は夜まで体全体が涼しかった。

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訃報2

杉浦日向子さんの訃報もきく。
彼女の漫画は、現代と江戸のちょっとした感覚の違いを、まったりとした絵のなかに微妙な違和感として感じさせてくれて好きだった。

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訃報

ストリップファンの掲示板と、購読しているとあるメルマガで縄師明智伝鬼氏の訃報を知る。
彼のHP”NAWASHI”で確認。
64歳とはまだ若い。
伊藤晴雨氏78歳。
長田英吉氏75歳。
濡木痴夢男氏74-5歳たぶんまだご存命のはず。
伝説の緊縛師達のようにまだ10年は活躍してほしかった。
名古屋に来ていたことはしっていたのになぁ。一度お会いしたかった。
早乙女宏美さんはこのことをご存知だったんだろうか。

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耽美な世界

早乙女宏美さんの切腹ショーを久しぶりにみました。
余人を以っては代えがたい一芸を持つというのはどの世界でもすばらしいことで、彼女ならではの世界を堪能しました。
ついでに著書にサインをもらいましたが、いただいたメモによると発売2年余ですでに4版を数えるとか。
河出書房新社より新刊予定もある由、楽しみです。

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獣医科

獣医師の続きとして。
アメリカと違って、日本では獣医師という資格は臨床獣医師と獣医科学者を区別しない。
大学教育も、臨床に特化したわけではなく、動物を使った基礎学問から公衆衛生まで幅広く行われる。
ただ、限られた時間内に幅広いことを身につけるには限度があり
現在、臨床技術の向上の為に、産業動物獣医師にはインターン制に似た制度を用意しているが伴侶動物には、動物病院に勤務しながら各種セミナーに参加することで一定のレベル以上の実力を身につけるしかない。
現在はどこの大学も伴侶動物臨床に力を入れているようだが
15年前には関東一円の私立大学には優れた臨床教育者が揃っていて、優秀な学生が在学中から各種セミナーにも参加していたが
国公立や地方の大学では教育者も授業時間も不足していて、大学を卒業したくらいではAHT(動物看護士)にも及ばなかった。私のいた大学には図書館に犬猫用の専門書が揃ってなかった。
基本中の基本であるPOMRと略される診察手順のことすら卒後知った次第。
今は当時ほど大学格差もないであろうが、基礎獣医科学に力を入れている大学、国家公務員上級職養成大学、産業動物臨床に力を入れている大学など、目的に応じて入学する大学を決めてほしい。有意義な6年間になるように

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無邪気な年頃

職場に小学生が社会見学に来た。
上司が「あの頃が無邪気で一番いいよ」というのを聞いて、自分の小学時代を思い出した。
あの子たちと同じ小学3-4年の頃はたしかアパートの自分ちから前のコンクリートに飛び落ちることをよく考えていた。
2階からじゃあよっぽど運がよくなきゃ死ねないと思うが、そんなことが理解できる歳ではなかった。

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獣医師

ちくま文庫の書評にわけのわからぬTBをいただいたので、それについて書きます。
私の職業である獣医師はアメリカでは2つに別れていると聞きました。
veterinary medicine とveterinary science
日本では3本柱と呼ばれていて、公衆衛生、家畜衛生、軍馬・・・っとこれは戦前ですね、最近は動物に関連する研究開発でしょうか、実験動物施設責任者だけでなく、官公庁で企業内で獣医師の果たす役割にはさまざまなものがあります。あなたの身近なところに獣医師はいますってどこかのCMみたいですが、動物のお医者さんだなんて思っていたら意外な処にいてきっと驚かれるでしょう。
私のしている小動物診療は獣医師のごく一部と思っていただきたい

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ぼくらの「侵略」戦争

ぼくらの「侵略」戦争(洋泉社)を宮崎哲弥編著という言葉に惹かれていま読みすすめています。95年の本なので、現在の状況とは違っていますが、そのあたりも面白いと思っています。

戦後生まれの戦争責任は時々話題になりますが、私は責任ありでいいと思っています。ただ、根拠が歴史的なものでも人道的なものではなく、日本人としての利益を享受するなら不利益も享受すべきだとしています。
この本で宮崎氏は、個人の戦争への関わり方で責任の範囲が決まるとしています。自分の会社がどうだったか、先祖が何をしたか等。間違いじゃないでしょうが、それでは日本人というくくり方ができないように思います。また、あくまで個人の問題に限定されるうえに、責任をはたそうという若い個人の能力・意志に無関係になってしまって、現在の民主主義に合わないように思います。
いつもの隅田らしい乱暴さでお題を書きます。
戦後台湾に移住し、更に日本国籍をとった漢民族系日本人に戦争責任はあるでしょうか?現実問題として、その人の払った税金から、中国の化学兵器処理費用が捻出されています。責任無しというなら、その人は不当に税金を払わされた若しくは不当に流用されたということにならないでしょうか。
これを更に推し進めると、在日外国人が自分の払った税金からの捻出を拒否すると云った場合にはどうなるでしょうか。
先に書いた根拠により、日本国籍を選択した以上、日本に住むという選択をした以上、その人達にも責任をとってもらうということで如何でしょうか。
国籍も住所も決して容易ではないですが、変更可能です。どうしても加害者になるのがいやだというなら変更してもらいましょう。
個人の責任負担の違いは、現在の収入により税金等の負担に違いがでる、また積極的に戦争責任に関わろうという意志のある人はその人の力の及ぶ範囲で負担する(決して商売するということではありません)。ということでいいと思います。18歳を越えた人間はあまり親がどうこう云わない方がいいと思います。

まだ1/4も読んでいません。興趣深い文章が続くので、またこの本については書こうと思います。

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歴史公民教科書を読む

茨木中央図書館で展示されていたので、中学歴史公民教科書を読み比べてみた。
歴史を学ぶ意味は大きく2つあって、一番は受験テクニックとしての歴史であるが、これは必要ない人もいるので、教科書には載せられない。もう一つは自己確立の手段としての歴史である。
教科書の前文として、各社いろいろ書いているが、まともなものは扶桑社と清水書院であった。中には、こんな文章しか書けない人間がどの面さげて歴史学者を名乗るのか不思議に思うものもあった。
歴史を学ぶ意義については司馬遼太郎氏の「二十一世紀に生きる君たちへ」や、伊勢雅臣氏のHP国際的日本人養成講座の編集方針がすばらしい。
中学生の自己確立は、精神的・論理的・倫理的なものだけでなく、社会的なものもある。日本人だけが日本の中学校に通うわけではないが、日本社会に生きるということは同じである。上のものを参考に、そのあたりをとらえて欲しい。
内容は、私の学生時代に比べると各社ずいぶん丁寧に書かれている。清水書院は私が学生だった頃に近い、学説のいろいろあるところは省いた、つながりがないエピソードの羅列で、一番ひどい出来であった。まぁテーマをつくって自分で調べようということを全ての教科書でうたっているので、そのためのとっかかりとして言葉を羅列したとみればいいか。担当教諭がその穴を埋めてゆく必要がある。扶桑社は逆にわかりやすく書くのはいいが、まだ確立されていないことまで載せている。歴史とはそんな単純なものではないことを自分で調べてゆけばいい。
義務教育レベルの教育は、将来自分で興味を持ったときに、自分で必要な資料文献にあたることができる力を身につけることが一番大事だと思う。どこぞやらのHPでは教科書が悪くなってきているとがなりたてているが、実際読んでみて私の中学時代に比べると歴史の教科書は全体的に良くなっていると感じた。

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