« “百人斬り”裁判 勝利判決をめざす決起集会 | トップページ | 同業者のblogがでた »

三國連太郎・沖浦和光対談集「芸能と差別」の深層(人非人より4)

パソコンが壊れて、このblogに用意した下原稿や余所で書いた過去の原稿が全て消えてしまって途方に暮れていたが、書店で見つけた本から人非人シリーズにいいネタをもらった。三國連太郎・沖浦和光著「芸能と差別」の深層(ちくま文庫)2005.5.10.発行を読む。

彼の云うところの「非情さ」の基本は職務に対して誠実であろうとする職業倫理であろう。
三国氏は云う。”仮に一人の解剖医を私が演じるとします。そうするとまず、解剖医の日常性から生まれる生理みたいなものをまず実感として拾得していきます。本を読んだり、現場を見たりして......。無感動に鋸とデバで人間を捌ける非情さは一体どこから生まれるのか、そこのところをトコトン考えます。(中略)ポリバケツの中に心臓を投げ捨て、軽い手さばきで腎臓を取り出していく−そのような老練な解剖医の日常感覚的な、形ではなく、内面の複雑な心理の動きを表現することを忘れてしまうと、薄っぺらなものになってしまう。”

彼が解剖医という職業を根本的に理解していないのは「投げ捨てる」「軽い手さばき」などという言葉にでている。薄っぺらい自惚れしかない。
仕事の成果を投げ捨てる馬鹿がどこの世界にいるか。そんなやっつけ仕事を老練と呼ぶか、普通?
「メスや鋏で手際よく正確に取り出し、バケツに入れる」だと私は思うが。如何なものであろう。
「非情」や後述する「無感動」は私情や遊びで仕事をしていないとすべきである。
以前、獣医師は動物好きにちがいないという飼主の誤解についてふれた。好き嫌いという感情で診察をしては獣医師失格である。この例も同じであろう。

ここに来られた方に、一つ似たような命題を出そう。
獄吏が拷問係として、職務に忠実に、職業倫理として誠実であろうとしたときに、目の前の人間が発する苦痛のうめき声にどう考えるであろうか?
耳を塞ぐという選択は冗談にもならない。耳を塞ぐくらいなら辞職すべきである。
悦ぶ。それは職業上の意味があるか。私情ではないか。
答えは友成純一氏が「新人獣裁判」(大陸書房)で書いていた。私は雑誌連載のときにみたきりだから、正確に書くことは出来ない、答えは図書館や古本屋で捜していただきたい。奇書はすぐに絶版になるので困るが、作家というのは作品のリアルさの為にここまで想像することができるといういい例だと思う。
私の考えは書かないでおこう、安易に書いては皆様の想像をじゃまするだけだ。気持ち悪いだろうが、一度本気で想像していただきたい。

と、ここまではベースとなる倫理について書いた。次にその先にあるものを書く。
「鬼手仏心」という医学用語をこのblogによく書いているが、常人には出来ないことをする職業、修羅や鬼にならねばならぬ職業には共通すると思う。手は正確に切り刻みながら、慈愛を持ってその人の人生の最後に関わってゆく。解剖医によってその人の人生が確かなものとして完結する。解剖医のプライドは那辺に在るのだろう?死者に対する職業上の愛はどの様に表現されるか?言葉として、手つきとして、それを知るのが役者であろう。
三国氏は書く。”ただし、外側からは無感動に見えながらも、生理的には何らかのショックがあるのかもしれません。解剖医として当然生まれるであろう心の内部の複雑なシチュエーション(中略)その微妙な感情の流れも必要であれば表現しなければなりませんね。”
「ショック」ねぇ。書き写しながら自分の心が冷えてゆくのを感じる。七十有余年を生きてこれかい。常人ならぬ辛酸を舐めてきたとおっしゃる経験が。役者を四十年以上(拙の人生より長いぜ)やって、役柄の理解力自慢がこれかよ。
もちろん、解剖医も人であり、教室以外の社会生活を送っている。個人的に死体の人と関わりや思いがあり、職業を離れた感情をもつこともあるだろう、ドラマはそうしたところに作られる。
が、役柄をつかまえる為の「日常」にそんなものがあったら大変だ。自分の家族が亡くなって悲しみをこらえてるときに、解剖医がショックで切り損なったので解剖は失敗ですって云われたら、どうします?切り損なわなくとも、動揺して診断を間違えましたと後日云われたら?

死骸を切り刻むことを非情だとか無感動だとか呼んで自分と距離をおこうとする嫌悪感は、その職務にない人間として自然な感情だとは云える。この様な突っ込みは無理無体だと思われるかもしれない。ただ、三国氏はリアルな演技をする例としてわざわざ解剖医をあげたのだし、別の場所に書いてあること、この本の趣旨・出版の目的とも矛盾するだろう。そんなつもりは無かったという言葉では済まない、きちんと批判されるべき文章だと思う。人非人シリーズは、人の情として良識ある人には書けないことを隅田という人でなしが書くシリーズであるとしてご容赦いただこう。

PS.
先の命題だが、ヒントとして、私の考える道筋としては、目的を達する為に、強すぎず弱すぎず正しく行われているかどうかの確認を五感を駆使しておこなうことが職業に誠実であろうという処から始め、慈悲の心をもって行うとすればどう工夫するかと進めると書いておく。
さて、皆様は?

|

« “百人斬り”裁判 勝利判決をめざす決起集会 | トップページ | 同業者のblogがでた »

コメント

「私情ではないか」「常人には出来ない」。ここにあなたの夢見がちなところと浅はかさを感じました。

投稿: 輪投 | 6月 15, 2005 03:52

コメント有り難う御座います。
できればもう少し詳しく書いていただけませんでしょうか。

投稿: 隅田 | 6月 15, 2005 06:46

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/41893/4462054

この記事へのトラックバック一覧です: 三國連太郎・沖浦和光対談集「芸能と差別」の深層(人非人より4):

» 音楽の質問に答えて次の5人にバトンを渡すねずみ講 [くまりんが見てた!]
ありゃりゃ、まわってきたよ いぬ日記で見たときこりゃいつかくるなと思った「音楽の質問に答えて次の5人にバトンを渡すねずみ講」がとうとう「木走日記」からくまにも回ってきたよ。こういうネズミ講なら「洗剤とお鍋を買って次の5人にバトンを渡すねずみ講」と違って人... [続きを読む]

受信: 6月 24, 2005 00:14

» 獣医師 [職業情報局]
獣医師獣医師(じゅういし)は動物の診療や保健衛生指導などを通して、動物の保健衛生や畜産業の発展、公衆衛生の発展に寄与する、動物の医師。Wikipediaより引用... [続きを読む]

受信: 7月 04, 2005 03:50

« “百人斬り”裁判 勝利判決をめざす決起集会 | トップページ | 同業者のblogがでた »