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チョコレート中毒

冗句ではなく、生命の危険の話です。
チョコレートに含まれる”テオブロミン”は、”キサンチン誘導体”といって、中枢神経や心臓・呼吸器作用のある薬です。
大人の人間で”中毒”を起こすのに必要な量を食べるのは大変ですが
子犬、子猫、フェレット、ハムスターなど体重の軽い動物では中毒量や50%致死量を越えることは簡単です。
動物病院にくる患者はほとんど数日続く下痢・嘔吐ですが、解毒剤はありません。対症療法、輸液などで体から出てゆくのをひたすら待つのみです。
私の職場でも中毒量を軽くオーバーして入院した症例があります。
いつもは、キーワードにリンクを付けますが、今回はご自分で検索してあちこちみていただきたいので、わざとリンクしません。
怪談じゃないけど、観たら2日くらい寝込みそうな恐怖を味わってください。中には死なせてしまった体験談もあります。
小さなお子さんのいるおうち、やたらに可愛がるお父さんのいるおうちでは、目を離す時にはチョコレートをとりあげるくらいの覚悟が必要です。
机の上にも放置しない、ゴミ袋はこまめに始末する。いつも以上に気を配ってください。
万一食べたらすぐにお近くの動物病院に連絡してください。
この時期にはよくあるのでエントリーしました。


PS.人も死に至りますが、そちらは医師・看護士にご相談ください。

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犬猫

最後の藤田陽子さんの下着姿のシーンがよかった。といってもスケベ心ではなくて、精神的な”脱ぎ”を映像的にみせた、それまでのキャラクターの奥にあるものを表現してもう一度観たくなる映画に仕上げたという意味である。
別のHPのオフ会企画として、着物で映画を観たあと呉服屋さんで喫茶軽食ということにしたが、偶然名古屋シネマテークの「犬猫」が監督挨拶ありということで、内容も監督も知らずに決定。
参加者は初めてのミニシアターということで、映画内容と同時に独特の雰囲気を楽しまれた様子であった。いかにも映画フリークというジャンバー姿のおじさんたちに混じって若いお嬢さんがいたし、定員オーバーで座椅子を出していたのは私も初めてだった。
具体的な内容は公式HPや紹介記事を参考にしていただくとして
明るくて、ちょっとおつむが弱くて、料理好きという一緒にいて疲れなさそうな男の理想的な彼女だったスズがドロップアウトしてゆく、ヨーコは逆にスズに対するコンプレックスを抜けて、すっきりした顔で犬の散歩をする。
最初に同棲した男の態度に腹を立てて飛び出すものの、猫なで声で猫を呼んだり、ヨーコの好きそうな男を家に招き得意のカレーを3人で食べようとするがヨーコが出ていくと彼には帰ってもらう、外泊したヨーコの帰りを待つ間にケーキを作るなど、結構人好きで可愛く気配りをしているスズが、最後に服を脱いで布団にくるまり独りになる。今までのにこやかな表情が落ちる。ヨーコがわざと持ち帰った元同棲相手のタバコを一口吸って火を消すのは男をふっきったのかな。
ちょっと古めかしく作りたかったということで、大道具小道具に懐かしい物が多い。
パンフレットにサインをもらったときに訊いたのだが、彼氏のタバコが今どき珍しいハイライトなのも、監督が和田誠さんの変わらぬデザインを気に入ってのことだそうで、キツさを知らない西島秀俊さんが倒れたらしい。役者も大変だ。榎本加奈子さんがむせたのも、藤田さんが一口で吸うのをやめたのも、もしかして演出意図ではなかったかもと想像してみる。監督にそこまで確認すればよかったかなと後で気がついた。ちなみに私はピースが胃に重すぎる時にハイライトマイルドを吸っていました。

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13の揺れる想い―在日コリアン二世・三世の現在

「13の揺れる想い」金井靖雄著麦秋社
いい本だ。”ステレオタイプの在日観」を避けるため、様々な立場の人の様々な想いを整理せずに書いている。他の本では書かれない今日の問題や、未来を示す幾つもの鍵が提示されている。矛盾することもあるが、解説はなし。総括を目的にと書いてある梁石日との対談もまた矛盾を含んだ幾つかの問題点をあげる形となる。
反論するとすれば、梁石日の言葉「日本社会」。日本と日本人若しくは日本国民、民族としての日本人若しくは大和族(よく自称される日本民族より、他の民族が呼ぶヤマトンチューや倭人のほうが適切に思う。ヤプーは某書の印象が強いので避けるが)は違う。日本社会を日本人のものとする見方は自ら自分達の存在を否定してしまう。1世の意識はまろうどかもしれないが、日本で代を重ねても尚、日本社会の客人であろうか。経済的にも文化的にも、制限はあっても政治的にも、社会の一員としての存在を示し、責任を負う時期にきているように思う。50年後に消えちゃいけない。私が金達寿の日本の中の朝鮮文化という命題に史学的ではない評価をするのは、過去の形ではあるが在日コリアンが日本社会の主役であったという考え方を提示し、現在の鏡にしようとしたことである。白鳳時代に今来と呼ばれた人々が、各国の特徴を混ぜた独自のものを生み出しているように、今日の在日コリアンも自分達から発信する文化を主張してきている。日本国籍をとったら、典型的な日本人になりきらなければならないという強迫観念は若い世代には無くなってきているようだ。
在日三世を上中下にグループ分けする見方は面白い。著作をものにしたりマスコミに顔をだす者のみを相手にしちゃいけないという難しさを簡潔に言い表している。
この本だけではなく、書かれていないタイプの主張、例えば、短くはDAYSJAPAN2004年11月号、長くてよければ辛叔玉女史や姜尚中氏の本を読むことで、雑多な想いを重層なものとできるだろう。それぞれの主張の裏にある書かれていない気持ちを推察できる。そこから先は若い人たちのHP「半月城通信」「ハン・ワールド」「コリアン・ザ・サード」など、右にリンクした呉善姫女史や他のニューカマーたちの本でふくらみをもってゆくことだと思う。

p.s.
これはかなり厳しいことは承知で云うが、事ある毎に自分達を特別だという意識は、日本人からだけでなく、他の在住外国人や、ニューカマーと呼ばれる在日韓国人からも孤立する結果となる。


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華月漣さん

去年の夏からストリップ小屋通いを再開したが、学生時代に通った札幌ニューカジノ劇場所属の方がでるときにはできるだけ観に行く事にしていた。
kajino
麗千波さん、マドンナ麗さん、月夜乃空さんにお会いできたが
華月漣さんは、ちょうど10月11月に名古屋の劇場を廻っていたり、京都に用事があるときには伏見で、大阪に用事があるときには神戸で踊っている。
着物趣味が共通していて、着物を使った衣装や、和のイメージの踊りを組み込んでいる
偶然も4回重なればそれはご縁というしかない。
姐さんも、私を見て次の回に大須で今日買ったばかりという羽織を着て踊ってくれたり
先日はいつもの着物でなく洋服でみにいったが、私のことを憶えてくれていた。
こうなりゃHP”I☆STRIP”をチェックして、いけるところは通うしかない。
学生時代はしたくてもできなかったおっかけというものを経験してみようと思う。

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