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文明の闇

以下の文は、いまだ自分の中で整理できていない。箇条書きであり、結論も無い。
ただ、友人に書くといって半年、某BLOGでもぽろっと口にだしてしまったので、切り口だけでもお見せしないと年を越せそうにないと思いアップする。
思索というものは、一度悩んでから数年寝かせておき、ほぼ忘れかけた時に見直し整理すると、よけいなものが腐り落ちて、すっきりしたいい問答になる。
今回のお題はいわば発酵途中の酸っぱい商品である。お腹をこわさないように願う。


文明という言葉を私は肯定的な言葉として使わない。
私は文明とは四大文明を基準に、西ヨーロッパあたりまでを考えるのだが、
具体的には広大な平野と大河、大規模な灌漑をはじめとする建設事業、それを可能とする大量の労働者の集約、それらを可能とする大権力とそれを精神的に支える思想や宗教が根幹にあると思っている。
そこには「わしズム」最新号において南州公の引用として書かれた精神性はひとかけらも無い。
人々の幸福な暮らし、高い精神性は私は「文化」という言葉で考えている。
しかも文明と文化はイコールではなく、むしろ相反するものというとらえかたである。
文明の地においては、最高の贅沢をする上流階級と最低限の人間的生活ができない下層民が共に恒常的に存在するが、野蛮な地においては劣悪な気候などによる飢餓は全員を襲う。日本では、ほんの少しの資産を理由に生活補助を受けられなかった家族が餓死するとニュースになるが、文明の地中国では一人っ子政策により戸籍もない人間がいる。
文明は一朝には出来ないし、一夕に消えはしない。文明の地の支配者が変わっても、文明は継続している。しかし、文化はちょっとしたことで変質・消失する。エジプトもイラクもインドも今でも文明の地だと思っている。中国については、華北と江南の2つの文明が混じっているのではないかと思っているが、文明の地であることに変わりはない。
では日本は。私は日本文明を認めてはいない。文明を持つ可能性は何回かあったと思うが、偶然に支配しようとした文明のほうに事情ができたり、健全な蛮性が勝って表層的なものに押しとどめたり、最後の機会である満州国建国は敗戦により崩壊したことなど、文明を持つに至らなかったと考えている。
江戸幕府は中央集権の面もあるが、後の明治政府と比較するとわかりやすいが、
細かいところで、明文化しないほうがうまくゆきそうなことは明文化しない、現地の判断にゆだねる、表面化しなければ黙認するなど、老練な放任政策を持っている。
幕閣の決定は正式には天領のみだが、家老、殿上人、山田朝衛門などを通じて、最終的に全国に行き渡る。そのクッションは文明にはない。
中国の統一王朝の封建制は日本の封建制より集権的であるし、欧州は近代という文明を手に入れてから封建制を破壊していった。
中国において文化が花開いた時期は統一王朝期ではなく、春秋戦国時代、南北朝時代など分裂していた時代だという説がある。

庶民レベルで云うと、文明の絶頂期に於いて、その地に住む人々の識字率は高いであろうか。市民ではない。市民は市民権を持った上流階級のことである。
日本の識字率の高さは例外としてどけたとして、他の野蛮の地と文明の地において、如何ほどの差があったろうか。
インドも中国も中東も世界最高の頭脳を多く輩出している。教科書はトピックスや偉人を載せるので、そういう視点に気づかない。
文明の光をみれば、蛮族の地に比べてまばゆい。しかし、その闇は暗い。どちらかだけを云いたてても、間違いではないが全体像を見失う。

巨大建造物が文明なら、仁徳天皇陵は世界一だと仰るかもしれない。しかし、古墳が作られた時代は、日本が大陸の文明の脅威に曝されていた時代でもあり、また、王権を主張する集団が幾つか並立していた可能性のある時代でもある。文化事業と考えるより、力をみせつける必要のあった事情から生まれたとしたい。この時代の日本を、私は朝鮮半島も含めた地域が、中国大陸の巨大帝国の圧力を受けながら政権争いをしていた時代と考えているので、もしかして倭人ではない若しくは日本人意識のない人物の墓かもしれないとまで考えている。

鎌倉幕府に至る過程は、世界史としてみると異様な事態であると思う。農民が貴族階級にとってかわったのであるから革命だが、この革命は貴族階級を破壊する方向には動かなかった。
政教分離はローマ帝国と教会にもみられるが、欧州では後年、王族から教皇が出ているし、教皇を自分の国に住まわせた王もいる。
日本は貴族と武士・町民の婚姻はあったが、表立っては皇族・僧(元皇族)以外からは直接天皇をだしてはいない。
天皇は王権の正当性を保障する存在として残されたとして、世界史にも例がないわけではないが、貴族階級がそっくり残った理由、政府とは別に幕府をつくって距離を置いた理由を世界史として説明することは難しい。

歴史を進歩という一つの流れで考えた場合は、宗教が一神教に向かうのは歴史の必然と考えられよう。しかし、現実には日本で一神教への動きは、儒学・仏教なども含めて、神話創設期(最初からアマテラス女神を最上としたのではなく帝記や天武帝の時代に作られたものを記紀の時代に整備しなおしている説もあり、その後も時代により八幡神や熊野権現などが台頭してきたことなど、神道が天照大皇神を中心として成立してきたと考えるのには無理があると思う。江戸時代に伊勢講は大きかったが、それが即天照大皇神信仰とは云えない。幕末の国学のなかで再浮上、再構築されたと考えた方がいいと思う)、日蓮による法華経による国家鎮護、松平定信による異学の禁令など何度も起こってはつぶれている。
文明の地に於いては強大な権力を支える為に一神教への流れは成功していることを考えれば、これも日本が文明国ではなく、健全な蛮性をもち続けた例であろうと思う。

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