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下駄

一本歯の下駄を買ってから、改めて下駄に惹かれた。
着物を着始めてから最初に買った下駄はダイエーの正月用品の2本歯だったが、どうも使い勝手が悪くて、下駄はゴム底の右近下駄を使っていた。よくあるヒールのある右近下駄も持っているが、草履に近い底の平らなものを履くことが多い。靴はどれもかかとが少し高いので、着物と洋服では歩き方が違ってきているのだろうか。
一本歯の下駄はご多分に漏れず、甲野善紀氏の著作をみて面白がって買ってみた。足首を硬くしてスナップを効かせずに歩いているが、靴とも、右近下駄とも足の負担が違う。不安定かと思っていたが、ひっくり返ったのは、マンホールの蓋が周囲から突き出た場所で踏み外して、横方向に1回だけであった。ゴム底ではないので、床の材質により滑りやすいことと、地面がでこぼこの場所はできるだけ避けるようにしている。坂道を登るのは靴などよりずっと楽である。今のところ近所に履いて歩いている。
その後、永平寺門前町で2本歯の下駄を買ったが、この下駄は前の歯の位置が少し後ろで、一本歯と同じような歩き方が出来る。これを買ってからは、右近よりこちらを履くことが多い。@NIFTY松阪オフもこの2本歯で出かけた。ゴム底を買って付けるのを忘れていたが、歩く音を楽しめるので、そのままにしている。滑る床に弱いのは一本歯と同じである。
下駄の台の模様や材質についての違いは店も客もHPに書いているが、重心や傾きの違いについて触れたHPは勝部さんの右近下駄くらいしかみかけない。
歩き方など、皆さんどうされているのであろう。
まだ専門家に聞いてないが、下駄の重心は注文して変えることは出来るのだろうか。
来年は下駄をあれこれ物色しよう。

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ここのところ少し鬱が入ってきた。
睡眠時間が長くなる。いつもは2時間おきくらいに目が覚めるのだが、気がつくと6時近くなっている。
動き出せばいつもどおりなのだが、心にきれがなくて、仕事には出られるが、
休日の予定はずるずると遅刻してゆき、結局夜まで外にでない。
慣れているので、あわてもしない
ひどくならないようには気をつけている。

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歴史との関わり

史観は個人のもので、一人として全く同じということはないと思っている。
更に一個人に於いても何か機会があれば変化する。このことを否定してはいけない。
「みるべきほどのものはみつ」は人生の最後に云う言葉である。
だからこれから書くことは、高いレベルでは間違いであることが前提となる。
何度か気にとめながら、毎回最後に捨てる。
断定的に書いてはいるが、実はとてもあやふやなものなので、私自身も後日似たようなことを書いたときには違ったことをかくかもしれない。

ミクロな歴史は事実をそのままみる。これが第一段階だと思う。
ここをいいかげんにして次に進む、若しくは順序を逆にすることがよく見受けられる。
自分なりの歴史理解は人に教えられたとおり憶えこむことではない。
以前「時間を感じる」について書いたが、時間感覚は生まれつきのセンスといいたくなるくらい理解しやすさに個人差がある。
学生時代には教科書は教科書として流しながら、できれば宿題として一つのテーマを深く掘り下げると理解しやすいと思うのだが、如何であろう。
私などは根がスケベなので、多夫多妻から一夫一婦への流れだとか、中世ローマ教会による結婚式だとかであったが・・・いや話がそれた
わからないことはわからないと云う。確立されていないが、こう思うでもいい。きれいに説明するのは次の段階でいい。
ただ、事実を調べる前にこうでなければ、とかこうあるはずだという思いこみを持たないように気を付けることが必要である。大風呂敷を拡げるのではなく小さなテーマを選べば、先入観など吹き飛ぶはずだが、困ったことに気に入らない事実をいろいろ理由をつけて最初からはねてしまう頑固な人もいる。
古い「ゴーマニズム宣言」を読んだときに、彼はこの段階だったんだと思った。最近は次の段階を模索しているようだ。

第2段階は、自分をその歴史の中にすべりこませる。歴史的事実を一度バラバラにして、必要なチップを選び、再構成する。
歴史について書かれた本は、時間感覚を持たないようなクズや素人談義は別にして、ほぼこの段階のものである。
マクロな歴史学と云うか。
著者の歴史観をつなぎとして、わかりやすい一つの流れとしてみせる。
そこには必要な強調と異論の除去が行われているため、歴史事実そのままではない部分がある。
○○はうそを書いている、○○は都合良く歴史を書き換えている、歪曲しているというのは決して間違ってはいないが、それをいいだせば史書は全てあてはまってしまう。
○○史観というのは、幾つかの著作を貫く著者の歴史観・人間観・人間性がしっかりしていることである。
教科書も基本的にはこの段階の著作物である。

歴史観の持ち方には大きく2種類ある。一つは現代倫理、自分の倫理を基準にして、過去を批判してゆく方法、もう一つはその時代・場所の倫理を探し、現代を批判する鏡とする方法である。
どちらが正しいといいきることはできないし、普通は両方をうまく組み合わせていると思う。ただ、前者に傾きすぎる書は自慢げで、読んでいて気持ちのいいものではない。
また、現代に置き換えて考える、自分ならこうしたろうと考えることも、方法論としては間違ってはいないが、やりすぎるとその時代・土地の人々の特徴・倫理観を押し潰して、現代人がコスプレしているようなぎごちない話しになる。
例えば、時代小説は大正浪漫の産物であり、主人公か近い人物にわざと近代精神を混ぜて読者に感情移入しやすく作っている。「吉川版宮本武蔵」や「竜馬がゆく」は史書ではないことは承知して読む必要がある。NHK大河ドラマはもっと露骨に現代サラリーマンを並べる。
宮崎駿氏のアニメのパンフレットに中世史の泰斗である網野善彦氏が寄稿したことがあるが、これも網野氏の文献をよく読みこんでいるし、現代倫理から離れた人物を登場させたとはいえ、確信犯として室町ではないものを突っ込んで宮崎氏の世界を作っているので、無理に書かされた苦しい批評であった。
どこからが史書でどこからが創作かというボーダーラインを明言することは私にはできないので、専門家の史書や歴史オタクのHPをできるだけ多くみて自分なりに感じてもらいたい。少なくとも歴史認識だの伝統などと平気で書くHPにまともなものはない。史書に慣れてくるとそういうHPに違和感を感じるようになる。

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文明の闇

以下の文は、いまだ自分の中で整理できていない。箇条書きであり、結論も無い。
ただ、友人に書くといって半年、某BLOGでもぽろっと口にだしてしまったので、切り口だけでもお見せしないと年を越せそうにないと思いアップする。
思索というものは、一度悩んでから数年寝かせておき、ほぼ忘れかけた時に見直し整理すると、よけいなものが腐り落ちて、すっきりしたいい問答になる。
今回のお題はいわば発酵途中の酸っぱい商品である。お腹をこわさないように願う。


文明という言葉を私は肯定的な言葉として使わない。
私は文明とは四大文明を基準に、西ヨーロッパあたりまでを考えるのだが、
具体的には広大な平野と大河、大規模な灌漑をはじめとする建設事業、それを可能とする大量の労働者の集約、それらを可能とする大権力とそれを精神的に支える思想や宗教が根幹にあると思っている。
そこには「わしズム」最新号において南州公の引用として書かれた精神性はひとかけらも無い。
人々の幸福な暮らし、高い精神性は私は「文化」という言葉で考えている。
しかも文明と文化はイコールではなく、むしろ相反するものというとらえかたである。
文明の地においては、最高の贅沢をする上流階級と最低限の人間的生活ができない下層民が共に恒常的に存在するが、野蛮な地においては劣悪な気候などによる飢餓は全員を襲う。日本では、ほんの少しの資産を理由に生活補助を受けられなかった家族が餓死するとニュースになるが、文明の地中国では一人っ子政策により戸籍もない人間がいる。
文明は一朝には出来ないし、一夕に消えはしない。文明の地の支配者が変わっても、文明は継続している。しかし、文化はちょっとしたことで変質・消失する。エジプトもイラクもインドも今でも文明の地だと思っている。中国については、華北と江南の2つの文明が混じっているのではないかと思っているが、文明の地であることに変わりはない。
では日本は。私は日本文明を認めてはいない。文明を持つ可能性は何回かあったと思うが、偶然に支配しようとした文明のほうに事情ができたり、健全な蛮性が勝って表層的なものに押しとどめたり、最後の機会である満州国建国は敗戦により崩壊したことなど、文明を持つに至らなかったと考えている。
江戸幕府は中央集権の面もあるが、後の明治政府と比較するとわかりやすいが、
細かいところで、明文化しないほうがうまくゆきそうなことは明文化しない、現地の判断にゆだねる、表面化しなければ黙認するなど、老練な放任政策を持っている。
幕閣の決定は正式には天領のみだが、家老、殿上人、山田朝衛門などを通じて、最終的に全国に行き渡る。そのクッションは文明にはない。
中国の統一王朝の封建制は日本の封建制より集権的であるし、欧州は近代という文明を手に入れてから封建制を破壊していった。
中国において文化が花開いた時期は統一王朝期ではなく、春秋戦国時代、南北朝時代など分裂していた時代だという説がある。

庶民レベルで云うと、文明の絶頂期に於いて、その地に住む人々の識字率は高いであろうか。市民ではない。市民は市民権を持った上流階級のことである。
日本の識字率の高さは例外としてどけたとして、他の野蛮の地と文明の地において、如何ほどの差があったろうか。
インドも中国も中東も世界最高の頭脳を多く輩出している。教科書はトピックスや偉人を載せるので、そういう視点に気づかない。
文明の光をみれば、蛮族の地に比べてまばゆい。しかし、その闇は暗い。どちらかだけを云いたてても、間違いではないが全体像を見失う。

巨大建造物が文明なら、仁徳天皇陵は世界一だと仰るかもしれない。しかし、古墳が作られた時代は、日本が大陸の文明の脅威に曝されていた時代でもあり、また、王権を主張する集団が幾つか並立していた可能性のある時代でもある。文化事業と考えるより、力をみせつける必要のあった事情から生まれたとしたい。この時代の日本を、私は朝鮮半島も含めた地域が、中国大陸の巨大帝国の圧力を受けながら政権争いをしていた時代と考えているので、もしかして倭人ではない若しくは日本人意識のない人物の墓かもしれないとまで考えている。

鎌倉幕府に至る過程は、世界史としてみると異様な事態であると思う。農民が貴族階級にとってかわったのであるから革命だが、この革命は貴族階級を破壊する方向には動かなかった。
政教分離はローマ帝国と教会にもみられるが、欧州では後年、王族から教皇が出ているし、教皇を自分の国に住まわせた王もいる。
日本は貴族と武士・町民の婚姻はあったが、表立っては皇族・僧(元皇族)以外からは直接天皇をだしてはいない。
天皇は王権の正当性を保障する存在として残されたとして、世界史にも例がないわけではないが、貴族階級がそっくり残った理由、政府とは別に幕府をつくって距離を置いた理由を世界史として説明することは難しい。

歴史を進歩という一つの流れで考えた場合は、宗教が一神教に向かうのは歴史の必然と考えられよう。しかし、現実には日本で一神教への動きは、儒学・仏教なども含めて、神話創設期(最初からアマテラス女神を最上としたのではなく帝記や天武帝の時代に作られたものを記紀の時代に整備しなおしている説もあり、その後も時代により八幡神や熊野権現などが台頭してきたことなど、神道が天照大皇神を中心として成立してきたと考えるのには無理があると思う。江戸時代に伊勢講は大きかったが、それが即天照大皇神信仰とは云えない。幕末の国学のなかで再浮上、再構築されたと考えた方がいいと思う)、日蓮による法華経による国家鎮護、松平定信による異学の禁令など何度も起こってはつぶれている。
文明の地に於いては強大な権力を支える為に一神教への流れは成功していることを考えれば、これも日本が文明国ではなく、健全な蛮性をもち続けた例であろうと思う。

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浅田次郎「鉄道屋」を読みながら

集英社文庫の北上次郎氏の解説には「鉄道屋」派「ラブ・レター」派「角筈にて」派「うらぼんえ」派に分かれるとあったが、私は「伽羅」に心痛かった。
四派それぞれに読者の傾向があり理由があるように、私が「伽羅」に胸が締め付けられる思いをしたことにも理由がある。
ペット業界の一端に寓する職業として、昔みた業界の裏側が、小説の頃のファッション業界と重なるのだ。

夢を持ってペットショップを開いた娘さんたちが、長年ペットショップを経営してきた男に連れられて動物病院に来たときのことを憶えている。
彼女たちの前ではここは顔だから治療費を安くさせるよ、なんて調子のいいことを云って、裏では客を紹介してやったとこちらにも恩をきせる業界人らしい海千山千の男であった。
面倒をみるといって、犬猫を廻していたようだが、中間マージンをどれだけとったのだろうか。
彼女たちは毎回きちんと治療費の支払いをしてくれた。
最初に話されたとおり割引はしていたが、「客を紹介するからタダで治療しろ」だの「このこが売れたら払う」という業界人の中にあっては損害のないほうである。余談であるが、そんな業界体質を嫌ってペットショップと付き合いのない動物病院は多い。
経営が徐々にうまくゆかないことは、連れてくる動物の数や治療依頼内容からみてとれた。
数年後彼女たちを夜のお店でみたが、その後店はつぶれ、彼女たちに会うこともなくなった。

もう一つこの小説の文外にみえるのは、ブームや女の生霊という言葉が使われていることで
ファッション・メーカーの冬の時代がその後にあることを匂わせていると思う。
私の近くでは、数年後には調子のいいお兄さんの店も消えた。借金がかさんで夜逃げしたという。
バブルの頃には雨後の筍の様に新規開業したり、ビルを大きく建て替えていた動物病院も、
今は若い先生がたまに小さな病院を建てた話しかきかない。

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曾祖母について

浅田次郎「鉄道屋」を読んでのその2

自分も不幸であるばかりでなく、他人にも不幸を撒き散らす人がいる。
不平不満のなかで他人に当り散らすことしかできない人。

曾祖母が不幸であったといえば、本当に不幸な人に怒られるであろう。
網元の長女として生まれ、分家とはいえ大きな商家一族に嫁ぎ、戦争で財産をほとんど無くしたといっても、庭付きの家に住み結城だの大島を買う余裕はあった。葬式は田舎の名士らしく、西本願寺別院と浄土宗西山派の末寺が何人も応援を頼んで坊主頭が列をなした、奇妙にも盛大なものであった。

しかし、実家から離れて半世紀以上たつというのに、私の知る限り訪ねて来る友人は実家近くに住む1人しかいなかった。
別院の婦人会などには出たらしいが、日常の買い物も含めてほとんど外出しなかった。
家でも家事に追われていたわけではない。全くしなかったわけではないが、ほとんど私の母親や祖母がしていた。家族が減ったときにはお手伝いさんを雇った。
へちま水や梅干を作っていたとは思うが、毎日のへちまの世話は祖母や私がしていた。
趣味がなんであったか、十数年暮らしたはずの私は憶えていない。慎ましい生活の割には着物の数は多かったかもしれない。
独り子は成人せずに世を去った。
我が強くて、人当たりのいい人でも、ひとに思いやりをよく示す人でもなかったから、彼女の周りに家族が集まっておしゃべりしていたわけでもない。
夫婦間もちょっとした事情があり、険悪ではないが良好といいきるものでもなかった。
中世に強い意志をもたず状況にに流されただけの姫が地獄にも極楽にもゆけぬ話があったが、この場合はどこにゆくのだろう。骨壷は子供を中心に夫婦並べておいたが。

そんな彼女の、おそらくささやかな幸せの一つは私であった。
子供が亡くなったあと、夫の姪を養女にして婿をむかえたので、私と彼女との間には血のつながりは無いが、我が家に久しぶりに生まれた男児であり、亡き子のかわりとして可愛がってくれた。
よく仏壇に一緒にお仏飯を供えて手を合わせたものだ。
また、私が幼稚園にゆくかゆかないかの頃には祖母の実母は存命で、曾祖母はよく私を10分ほど歩いた祖母の実家に使いにやった。
お駄賃をくれて優しくしてくれるので、私も本家のおばあちゃんちに行くのが楽しみであった。
彼女が他人への思いやりを示した稀な例だったと後年気づく。

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家族の危険について

天木氏が、八王子地裁の立川反戦ビラ入れ裁判について注目すべきと書いている。
天木氏は事件の全容を書いてはいない。
事件は以前から近くに立川自衛隊監視テント村を作って活動していた平和運動団体員が、自衛隊基地内の住居部分に侵入し、反戦ビラを入れて回ったことについて、逮捕監禁された事件で、概要はこのHPに詳しい。
弁護士さんの声明もどうぞ
立川反戦ビラ弾圧救援会という会もあります。
ブントも記事にしています。

さて、私の感想だが
御説ご尤もなれど、被告たちの行為はストーカーとして取り締まってほしいような行為である。
表現の自由と平和運動を支えているのがこんな連中であることが正直いって気持ち悪い。
私、迷惑ビラを入れた人間を締め上げたことがある。
日常行為というなら、締め上げた私はどうなるのだろうか。泥棒を番犬が噛んだら、治療費は侵入された方の負担というやつだろうか。
迷惑メールを入れたパチンコ屋の電話番号を調べ上げて苦情を入れたこともある。
紀州弁で責任者出せとどなって、最後に対応相手の名前を聞き出したら、メール発信業者が休みで停止に数日かかると言い訳していたのに、その日からピタリと止んだ。
これは表現の自由の侵害だろうか。日常行為に対する暴力・威圧行為だろうか。
生まれが和歌山だから私が紀州弁なのは当然だと思うが、八王子の店員にはよっぽど恐かったのだろう。これが受付嬢を泣かせたというなら、私も悪いと思う。しかし私は受付嬢に、苦情だから責任者出せと云ってある。かわって出た人間にももう一度云ったが、その彼が自分が責任持って対応すると云ったのだから、彼がどういう思いをしようと彼の問題だと思うが。
ただ、当の本人相手だからまだしも、この程度で済ませている。
留守宅に侵入する、それも月一でやってくるなら、私なら生命の保証は致しません。
よくて、ビラを持ってそいつの留守宅に数時間どなりこみ、妻子を引きこもりに追い込んでやるくらい。
警察が誘導しないと、30年も何も云わずにいるなんて、考えられん。
気がいい・優しいというより、家族が不憫でならぬ。
家族に手を出すということがどういう意味を持つか。ヤクザだったら即、破門状・回状もんだろ。
天木氏をはじめ、擁護論者が「だけ」と言い切るような軽い行為だとは私には思えない。
思想闘争だの平和運動だのは大人同士のやりとりにするべきで、上を狙ってデモなら当然の行為と云えるが、思想もわからぬ組織の末端の、しかも留守宅・子供のいる家を狙って恥じないところに浅間山荘に通じるものを感じる。
小さい頃からケンカしてないから、ケンカの作法も常識も知らないんだよな、エリートさんはよぉ。

もし、本気でこの運動をするなら。
相手の最も弱い部分をねらい打ちして崩してゆくんだというなら、鬼に徹しろ。
人非人ないしテロリストとして、裏街道をゆきなさい。
自らも家族も地獄に落ちる覚悟で、他人の不幸を乗り越えて、世界の未来を守りたいなら、それはそれで認めよう。敵としてあっぱれだと。
30年もねちねちストーキングしたあげく、表現の自由だなんて文化人巻き込んで善人面するんじゃない。


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コテハンの効用

以前書いた「名前」にTBしていただいた瀬戸さんの「面とペルソナ」にコメントしたことの補足として。

昨日東下して、「きものde銀座」というオフ会に参加してきた。
ついでにまずは浅草に寄ったが、六区で今月は雅麗華嬢の出演があると知る。月に二度も東下する資金がない、残念。
3時ぎりぎりに銀座和光前に。
このオフ会はマスコミの取材がよくあり、参加人数の多いオフ会である。
初めての参加なので、別のオフ会で会った人を中心に、更に公認レポートサイトを参考に初めての方々にご挨拶。
公認サイトの管理者夫妻も初対面だが、お互いネットでは4年越しの知人である。顔もお互い公開しているので、初めてという気がしないで、ごく普通の挨拶で済む。
物心つく前から銀座で遊んできたというご隠居とも初対面のご挨拶。この方の着物姿は5年目の私にはとうてい真似できない粋姿。この方とも@nifty着物フォーラムや幾つかの男の着物HPで顔なじみ。
私の名前を云うと、喜んでいただいて、銀座のあないをかってでていただいた。御陰様で、歩行者天国からはずれたいいも廻れた。資生堂ビルでおもして、一般参加者では味わえない贅沢なオフであった。
夜の宴会場でも、名刺をみせると”ああ、あのすみださん。””あ々すださんだったんだ”で、初めましてのご挨拶が可笑しさを含むほどに常連さんに親しんでいただける。
半日のあいだ気後れする暇がなかった。まぁ気後れする性格でもないが、それでも50人を越えるオフに初めて参加する。前日に公認サイト管理者の掲示板にいくとだけ書いておいて飛び込めるのは、自分を知る人々がいるという安心感があるからである。

コテハンで5年も活動し、HPも公開していると、全国津々浦々に知り合いができ、リアル上でもこの様に美味しい思いをする。
こちらも、どなたかの来名の際には、面子を集めて名古屋の地元民らしい愉しみをお見せしたり、名古屋グループの宴会を楽しんでいただく。
遠方だけでなく、私のHP上で、私の参加しないオフ会企画が幾つもあり、掲示板ではよく知る人に何度目かのオフ会で初対面ということもあった。

匿名でもネットにより人の輪を拡げてゆくことの実例を挙げた。

私が困ったなと思ったのは
とあるHPで、自分はメルアドをだすと危険だからと断った上で、HPを管理して様々な苦情メールに対応する心得を掲示板で説く人を見たときである。
アドレスを誰が見るかわからないからと云うなら、hotmailの様なプロテクトをかければいい。それでも本当に恐怖を感じるのなら、ネットにつながないことだ、アクセス記録は残るのだから。私は古い人間なので、今でも女性が実名でHPを持つことには賛成しないが、固定されたハンドル名を幾つか使い分けることはお薦めする。
恐い恐いと叫びながら、ステハンのみで生活して、果たしてこの人は何を得たのだろう。お店のバーゲン情報で得した気分なのだろうか。
書き込まれた情報をみるだけで満足する人々の社会は、たまにステハンで書き捨てるだけのネット社会参加は、リアルの世界の「とじこもり」とどこが違うのだろうか。

但し、”匿名の中傷”という話は上の話とは少し違う視点が必要だと思っている。どうも情報源の言い回しが、一部の言葉を変えた40年以上前よりの定型文の使い回しだからだ。
香田君の場合は、私の知る限り節度あるHPでは、以前とは論調の異なったHPのほうが多かった。
それと、今井君の場合、私も非難したクチだが、彼のを読んだ上でも意見は変えようとは思わない。彼の目論見が失敗したことはイラクのために良かったと思う。御家族はさすがにわかって反対されたみたいだが、本人はまだ覚悟もないし、現地で相手させられる人のつらさもわかっちゃいない。医療施設はどこも非常時に対応するよう準備されてなどいない。戦争直後の患者急増時に、かれの個人誌のリアルな写真とインタビューのために、どこまでオーバーワークが許されるかを計算するような現場の負担が増えて助かる命が助からなかったかもしれないとは思いもしない。命ある以上成長が期待できる点が香田君との大きな違いだろう。

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フィリッピーナを愛した男たち

フィリッピーナを愛した男たち」久田恵著文芸春秋社を読む。
拙のエントリー奥さまはフィリピーナにコメントいただいたbekoさんのblog「のほほんpクラブ観察記」に紹介されていた本。

ページをめくるごとに大声をだしてわらう。
これは、あたりまえのことだが、取材が可能だった成功例のみの話である。
それでも男も女も人並みではない紆余曲折の人生の果てに出会い、人並みではない夫婦生活をする。
上質の喜劇は人の営みの本質にせまる。そんな喜劇をみているようだった。
おもろうてやがてかなしき
仕合せな出会いもあれば、不幸な出会いもある、不幸な別れもある
インタビューという形をとらずに話されるそれらの事例を背景に
たくましく生きるフィリッピーナたちと日本の男の姿
わざとであろうか、日本人社会の中にいるフィリッピーナの姿ではなく
取材場所がマニラであっても日本にいても、フィリッピーナたちに囲まれて生きる日本人男性の姿を追っている

この本が書かれた1989年当時ですら、2つの文化が混ざり合うことで新しい時代がくることを示していた。
それから15年
先日、岐阜のまさご座で出会った娘は、日本人との間に生まれた子であり
10代から何回も日本に来ていて、この小屋でも特に人気があり
また、今回の滞在期間がすぎれば、母国で結婚式をあげるのだと
常連客が話してくれた
私は国粋という考えを持っていないので、この先にどのような混在した文化が生まれるのか、社会が生まれるのか楽しみだと思う
エンドレスの喜劇に自分も本腰を入れて加わろうとは、今のところ思ってはいないが

サイゴンから来た妻と娘」近藤紘一や「片翼だけの天使」生島 治郎 につながる世界であろう

読後に、おもいきり泣いた後のようなすがすがしさが残る。


ps
bekoさんがリンクしたHPにあったフィリピンパブは日本のひとつの文化になったという主張には賛成する
入管で締め出すことより、外国人や外国文化を受け入れてゆくしかない社会を自覚し、そのための体制をつくるほうに努力すべきだと思う。


ps2
次に読むのは「おれは伊平次」神坂次郎講談社文庫
偶然とはいえ、このような時節柄にあった読書が続く

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恐い夢

最近変な話しばかりエントリーしているので、ここいらでソフト路線をば。
瀬戸智子さんのエントリーにのっかります。

私は寝つきがいいのか記憶力がないのか、ほとんど夢を憶えていません。
憶えているのは、例えば
真っ暗ななかに大きな黒ずんだ仏像がただある夢。
たしか運ぼうとしたはずですが、そこまでははっきりしません。
小学生の頃の夢だったと思います。
年齢的なことを考えるとある意味怖い夢です。


さて、高校の頃でしょうか
夢の中で私は、どこかの砦から集団で脱出しようとしていました。
しかし走って外に出てすぐ、砦から追っ手に背中を射ぬかれました。
死んではいないのですが、ショックで体が動きません。周囲には同じく倒れた仲間がいます。
無事な連中は逃げ去りました。
そうするうちに追っ手たちが砦からでてきて、私に近づき、さぁ殺されるって処で目がさめました。

目がさめてすぐに思ったのは、よし、小説ネタもらった。
と、もう少しあれこれ知りたかったのに覚めてもったいないことした、寝直したら続きがわかるかなぁ。
当時はSFやファンタシー、ショートショートが流行っていた文芸部員でした。

いえ、夢の中では怖がっていましたよ。矢の感触もあります。でないとネタとして使えません。
というところで、怖い夢の話しでした。...オチナイ。

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