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名前

ふざけたハンドル名をみると他人事ながら、可哀相に思う。
インターネットとはいえ、他人とコミュニケーションをとるうえで、名前からくるイメージは大きい。
どんなに真面目で奥の深いことを発言しても、最初にハンドル名でこいつは喧嘩をふっかけてるのかと身構えてしまう。
”通りすがり”なんてハンドル名のコメントにどう返答するかは、サイト管理を一度経験すればわかることである。
自分を大事にする気持ちをもってネットも楽しんでほしい。


といいながら、自分も実はふざけた命名をした。
元々は高校時代に文芸部に入ったときにつけたペンネームである。
和歌山県橋本市に隅田八幡宮という神社があり、そこに本名の”せいじ”の文字を変えて突っ込み
隅田清次郎八幡(すだのせいじろうやはん)というのが最初の案。
さすがに最後の2文字はすぐ捨てた。
”老”に対する憧憬は十代からあり、
”清次郎”はちょっと変わったペンネームとして目に付きやすいこともあり、そのまま使い続けている。
ハンドル名で苗字と名前を両方作る人は少なく、
インターネットを始めてからも同姓同名に出会う可能性のすくない、いいハンドル名となった。
”すだっち”という柑橘系みたいな愛称ももらって、このまま一生使ってゆけるかと思う。

このサイトの”隅田清次郎残日録”も初めて持ったgatecityの旧サイトの日誌”清次郎残日録”より使っているから1999年からであろうか、ずいぶん長い。
退職・隠居生活なんてとんでもない30代からの残日録という名前には、”老”ぶりたい背伸びする気持ちがあったが、最近はそろそろ人生に形を作ってゆこうという心境にもなり、この名前がしっくりくるようなエントリーが並ぶ日がもう少し先にくるように思えてきた。
無料HPを借りているからまたあちらの都合でどこに引っ越すかわからないが、名前を変えなければいちいちメールしなくても検索していただけると思っている。
ここはアクセスカウンターなどつけていないので、エントリー毎のべ何人の方が来られるかは知らないが、以前からアクセスの少ない面白くないHPの一つであったので、そのようなことを気にするのは自意識過剰かもしれない。
ただ、継続するということは、実社会と同様若しくはそれ以上に重要なことだと思う。
出来てはすぐ消えるサイトが多いなかで、目に見えない信用をもっていただくのは、ハンドル名ごとに発言傾向の固定された個性とサイトの継続実績ではなかろうか。

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コロセアムの上と下(人非人より3)

背筋を伸ばして大声を出し、拳を振り上げる人はコロセアムの上に立つ。
少しかがんで槍を持つ人は下にいる。
下にいる人には彼我の距離はとてつもなく遠く感じ、上にいる人には間近に思える。

人非人よりを書くことは正直億劫である。私とて24時間人非人ではない。
にこにこ顔で日常診療を行いながら、その一環として病気に対する冷徹な眼と腕を持つ。
医学用語で云う”鬼手仏心”の鬼の部分をかなり誇張して書いている。

例えば、安楽死の是非について一般人が論じる場合に、受ける人のことを論じても、する側の苦痛について誰も論じようとしない。
脳死判定も倫理だとか臓器移植の必要だとかは云われても、人工呼吸器や留置針を取り去り、そのままその場に立ち続けて自分が処置した人の瞳孔の散大や脳波・心臓の停止を確認する人間の心理は問題にしない。
手順を一歩間違えば裁判所、牢獄である。成功しても100万円もらえるわけじゃない。
誰かに感謝されて、誰かにうらまれて、死の重さを背負って。
自分で選んだ職業だから、当然のものと受け止めるしかない。
奉仕の精神という言葉の裏にあるもの
かって「労働と認められない労働」というエントリーに於いて
”同情する。が、君が改善に努力するのは別の方向だよ、きっと。”
と書いた絶望が、下にいる者の思いとしてある

猫が道路に飛び出して轢かれることはよくあることで、車を運転する人は轢いてしまった人の怖さ、苦しみは理解できるであろう。
ではそれが獣医師であれば同じように同情できるであろうか。
獣医師免許に自動車特殊免許がついているわけではない、ごく普通の自動車教習所の練習で得た免許証である。
安全運転を心がけてもなお神仏に祈る以外に避ける方法はあるまい。
新聞に救急車が交通事故を起こした記事をみる度に、記者はことの意味を、運転した消防士の一般的な安全運転が許されない責務と心情を理解して書いているかが気になる。数行の記事でも私にとってファルージャ並みに心に突き刺さる記事である。

blog上で勇ましいことを書いている人のほとんどはコロセアムの上で叫ぶひとである。
戦争反対、ファルージャでの虐殺反対をいう人に対しても、私はその同情はコロセアムの上からか下かを伺いながらみている。
横たわる市民を殺害した映像について、殺害者を批判する人がいるが、私は驚きもなく、殺害者を責める気もない。
軍服を着た正規兵ではない人間を殺すために都市戦をおこなうことが決定された時点で
被害者は殺されるしかなかったし、殺害者は人らしき動く”もの”は全て撃たなければならなかったと私は考えている。
彼らだけでなく映像にならなかった被害者がどれだけいたかについては、今後フリージャーナリストらの手で明らかにされるだろう。
殺害者が無罪だとは思わない。やったのは彼だ。
しかし映像に映った殺害者だけを責めることにはみせしめ以上の意味があるのであろうか。
軍法会議は直接殺害した者しか裁けないだろうが、被害者の死について責めるべきは
安全な壇上で勇ましいことをいったブッシュJrやラムズフェルドたちだと思っている。
左のPUBLICITYの”「国が燃える」抗議事件・改訂版”というエントリーも、
”30万人だろうと1人だろうと、一片の罪なく【殺された側にとって、「殺害」と「虐殺」と「大虐殺」とに何の違いがあるというのか】。”
という暴論をぶつあたり、下からみると善良の傲慢さがみえる。これについては別項でもう少しするつもりなので、理由はここには書かない。

このblogを見る人でこの感覚を理解できる人はいないだろうという思いが”人非人より”という言葉の裏にある。


と、ここで終われば格好いいが
私は人を殺したこともないし、殺しそうな職場(警察・自衛隊・消防署・病院など)にもいない。
この人非人シリーズはそのことが前提で一般論として成り立っている。
かって2ちゃんねる上で和歌山県立医大出身の医師が匿名の油断から殺人をほのめかしてバッシングを受けたことがあるが
職業に伴う責任として、その職務に就く人間には”云えないこと”なので、上に書いたことが本当にその心情を汲んだ言葉であるかどうかについてはわからないと言い訳しておく。
すみません。

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人を呪わば穴2つ

格言の中にいい言葉をみつけると、記憶しておいていつ使おうかいつ使おうかと待ち構える
頭の片隅にそうして保管している言葉がずいぶんたまっているが、それをうまく出せないでいる
特に、自分に聞かせるのではなく、blogとして書こうと思うと、
内容があっているか、枕の数行は他人様が興味を持てるものか、ちゃんとオチがついているかなど
下書き以上のものにならないことが多い

表題は今現在の私の心境についても云えるが
国際情勢についても、心の片隅に気にとめながら書くべき言葉のように思える
今という時代を見据える言葉だと思う
しかし今の私には、この言葉をふくらませてゆき、まともなエントリーを作る精神力が無い
森田実氏のHPのようにまとめる知識も文章力も無い
申し訳ないが、ここにこられた皆さんがご自分のblogで使ってみてください

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云えないこと

プロフィールには明記していないが、あちこちで私が獣医師であることを書いている。
優しいことを書いてはいないので、獣医学的な相談を受けることはめったにないが、あれば受けている。
ただ、質問が個人的なこと、具体的な症状・病気についてであれば、おのれの持つ経験と専門知識から最良の解答を求めるが
一般論や、少し関係のある世論についてのようなものであれば、答えたくとも答えられないことがある。
全くの素人の世間話と、専門家の話では、責任が違う。
例えば、クローン技術や狂牛病について聞かれても、私は答えられない。
専門家の間では、私は小動物臨床の人間として門外漢で通用するが、世間一般の人にとっては自分達より知識のある人間にみえてしまう。
世間話ととらえないで、こういう専門家もいるととらえられると、私が何か云うことで、関係者にご迷惑をかける危険がでてくる。
「李下の冠」は自戒の言葉である。

例えば
逆に迷惑した話だが、
病院に務めている飼い主が、職場の医師に聞いたが、と云ってきたことが何度かある。
正しいことは少なく、勘違いや、飼い主の欲望・願望の押し付けがほとんどである。
ベテラン看護士になると素人の生兵法の危険は承知しているが、
家政婦、掃除婦といった専門知識も専門職の責任の重さもご存じない人にこういう例は多い。
一度など、フィラリア症にかかった犬の飼い主より、
こちらが伝えていたそのこの治療の危険と外科的治療法について、
金目当ての嘘をついた、知り合いの看護婦が治療する薬があると云ったと文句の電話がきたことがある。
具体的な薬の名前は云われなかったから、想像になるが
人にもフィラリア症と呼ばれる寄生虫病があり、治療薬として認められた内服薬がある。
しかしその薬の投与は、犬ではフィラリア陽性犬には生命に関わる禁忌となっている。
他のフィラリア予防薬は人には使わないから、まずこの薬だと思う。
本当のフィラリア成虫駆除は、注射でおこない、死亡の可能性も高い、飼い主にそれなりに覚悟を要求する治療である。
看護士にそのような動物の事情などわかるわけがないし、どこまで説明した上のコメントかは知らないが、素人には同じ専門家にみえたのだ。
二度と連絡はないからその後どうなったのかは知らないが、その看護士に人体薬をもらうにせよ、他院でその話を持ち出して薬を要求するにせよ、よけいな期待を抱かせ、動物に害する罪な一言である。

さて、自分のblogを持つことは、自分の責任範囲での発言を許されることだと思っている。
他人のHPに書き込みにくいことも自分のblogでは書いているが、それでも危険な部分は、「人非人より」のように削除したり、「一知半解」のように新聞社に電話し、不都合の連絡があれば削除しますと伝えている。
責任範囲の認識は個人の判断だと思うが、ネット上で公開する以上、見る人の御意見は尊重したい。
コメント欄もメルアドも公開しているのはその為である。


飼料輸入をしている商社の元社員であることを明記して、BSEや牛肉についてblogに書く御仁がいる。
もともとBSEに限らず、先に私が「一知半解」とエントリーしたような、数個の資料を漁って尤もらしく蘊蓄を書く人だが
BSEと肉骨粉輸入の関係を考えれば、たとえ担当部署は違っても業界人としての反省と責任なしに何かを云う資格があるとは思えない。
これ以上書くなら、古巣に苦情を入れるつもりでいる。これは彼個人の責任で済む問題ではない。
私個人として腹が立つだけでなく、関係業種にいる人間として、
責任ある窓口以外で業界人にとやかく云われることは迷惑を被る。
blogで反論しても聞く人ではないことは、彼に”農業オタク”とあだ名された方のblogをみればわかる。
何度も老人のblogに言及することで、云わないほうがいいことを書き、せっかくの独創的で建設的な論がとびとびになり、もったいないblogになっている。
彼に対し責任ある立場のものを通じて黙らせることは穏当な解決法であると考えている。

以前「ブログについて、このブログについて、雑感」というエントリーに引用いただいたとき、これは御自身でも私のことでもなく、blogranking上位のお二人についてのことだと理解し、専門家としてのハードルの高さを感じない人もいるという言葉でお二人に言及した。
このエントリーは、あのコメントを書き直したものである。

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善意の人

例えばあなたが怪我をしたとして
隣の靴屋さんが縫ってやろうといってきたらどう思うでしょう。
断って医院にいかないでしょうか。
もしその時には気絶していて、気が付いたら靴屋さんの手で縫合が終わっていたら、あなたは素直に感謝しますか。
怒りっぽい人なら、訴訟にでるのではないでしょうか。
でももし、地震などで、医院にゆくことができないなら、素直に感謝するでしょう。
医学知識のない人の行為ですから、状況がよくなってから医院で消毒と再縫合してもらうとして、
傷が大きく残ったり、膿んでしばらく熱をもったとしてもまだ感謝するでしょうか。

で、後日談として、靴屋さんは医師法違反で捕まりました。
さて、この場合、第三者であるあなたは善意の行為なんだから靴屋さんに罪はないと擁護しますか。
縫合を受けた人の承認があればいいんじゃないかと擁護しますか。
もし縫合を受けた人が靴屋さんを訴えれば、それでも善意と擁護しますか。
それとも、法律違反として断罪しますか。


何故唐突に靴屋さんが出てきたかと云えば、中世欧州では外科手術は靴屋がしていたからなんです。
場所と時代が違えば、こんな問題にならない当然の行為だったんです。

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甘い夢

イラクについて考えるとき
少しでもかかわった以上、10年20年とサマワの今後に日本は協力すべきだと思う。自衛隊の即時撤退は何ら友情を育てない裏切り行為だと思う。
自衛隊は短期間の選挙監視以上の治安活動の経験もノウハウもない。特に今回の相手は単純な主義や民族対立ではない。自衛隊が無事なのは現地の長老、宗教指導者たちが守ってくれているとしか思えない。彼らの友情を今後も保つことを第一に考えないと日本の未来は暗い。
しかし、悪くなる一方の状況から、自衛隊の撤退は急務であると思う。
復興支援の約束は、アメリカやイラク暫定政府との約束であり、自民党が下野でもしない限り有効である。
如何にして、信義をとおしながらブッシュの裏をかくか。

復興支援とは、サマワ市民による復興を支援することであり、自衛隊が復興することではない。現にそこまで大々的なことはしていない。
だったら、サマワの人に技術を伝えたうえで、彼らを雇用し、彼ら自身で復興活動をしてもらえばいい。
自衛隊員はせいぜい司令部くらいにして不要になった自衛隊員は1年といわずとっとと帰国すればいい。将来的にはそれも代理人にして、あちこちに描かれた日本国旗のみがサマワの街を闊歩する。
また、全般的な支援策としては、技術者等の日本留学支援と器具の供与という日本伝統のODAでいいんじゃないか。
そのほうが、現地の人もテロに巻き込まれる危険が減って喜ばれんかなぁ。
とても甘い夢だとは思いますが、実現して欲しい。

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香港性工作者

「香港性工作者」ヤン・イーサン著小学館文庫を読む。
この手の女性のルポの優秀なものはいつも「東京・夜の駆け込み寺」や「菜摘ひかるの性的冒険」のように切なくなる。
男が書くと駒田信二の「ストリップ一代」みたく女性讃歌になってしまうんだよね。
彼女はそっけない
「理想主義の男、・・・モラリスト、・・・勇者たち。彼らは星の数ほどいるが、みな失敗に終わっている。その姿はドン・キホーテよりもずっと壮烈である」
「街娼たちにとって最も憎むべき相手は、・・・警察ではなく、彼女たちの商売を奪おうとする「北姑(中国本土から香港へ出稼ぎ」だ」
「中国の娼婦のうち・・・経済的に困難な家庭の出身者はわずか九パーセントにとどまっている。この数字は、豊かであればあるほど、もっと金が欲しくなり、体を売ってまで稼ごうとする心理を表している」
また一般家庭の妻女にも触れ、女性という生き物の醜悪さを書いてもしや男子禁制本じゃないかと思える箇所もある。

彼女は日本生活もあり、”日本のセックス・カルチャー”についても触れている。
「娼婦が観世音菩薩のように崇めたてまつられることも、しばしばである」
「聞き分けのない少年のように浮ついた感情が潜んでいる」
昨日、銀映に観音様のご開帳を拝観したばかりなんだよな。身に憶えありすぎ。
「彼ら(香港男性)には日本の男たちのようなマザコン的欲求など存在しない」
というところで、この本には日本独自の文化とは違った社会がみえて勉強になる。

「今日、日本製のアダルト・レーザーディスクが香港社会に与える影響は大きい。」ってのはちょっと考え物だ。
私の持つDVDの幾つかは、出演者は日本人だが、香港や台湾で製作されている。また、台湾女性の台湾映画「天使心」も持っている。今話題の楽天系オークションeasyseekには香港製DVDが溢れているがその中にアダルトも少しある。
また、日本の性風俗体験を目的とした男性ツアーが日本に入ってきているとも聞いた。
日本を中心とした東アジアの性産業文化圏というとらえかたをする時代になったかも。

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いま、会いにゆきます

休日にもかかわらず、いつもと同じMOVIX三好のレイトショーに「いま、会いにゆきます」を観にゆく。
始まって1/3か1/4くらいから激しく後悔した。

何で俺は深夜一人でこんな映画観てるんだ!!
隣からポケットに入ってくる手のないことが切なかった
何であの人を誘わなかったのだろう

一人で鑑賞して、出来がどうこう云うなんて虚しいだけ
ネタばれになるが、夫と小さな子供を持つ喜びを観せつけておいて
終わってから映画の真似をして
”君の隣はいごこちがよかった””君をしあわせにしたい”
って云うしかない映画じゃないかよ

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DAYS JAPAN 11月号

特集「在日」
特集といいながら記事は2本。パレスチナ関連記事も2本。2本しかないから、云いたい事の前に全般的な歴史的なことの説明文が必要となる、内容が広く浅くなる。2本が対立的な内容ではないから問題を複合的に、立体的にみせることができない。これは今号だけでない。この薄さは何とかならぬか。
編集部の規模、発行期間からいって新作2本というのは限界だろうとは思う。だったら過去に発表されたいい記事を再録すればいい。
編集部は「今」にこだわるように少ないページの中にいろいろ今問題な記事を詰め込む。新聞や週刊誌ならばまとまりがなくてもそのまま読み流されるが、ジャーナルを掲げた月刊誌なんだから、特集にもっと重点をおいたほうがいい。
ジャーナルとは今を追っかけるだけでいいのだろうか。過去を総括して、未来方向を示すこともジャーナルではないか。各記事の中でなく、雑誌として記事を並べるなかで示すことがあると思う。それができれば各記事はより焦点を絞った鮮烈なものになる。
また、広河隆一氏の記事が少ない。編集におわれて取材する時間も、書いている時間もないのだろう。パレスチナなどは専門分野だろうに、あまりにももったいない。編集を誰かに頼んで雑誌から少し離れるか、まだ編集部の規模から無理なら、過去の記事を再録すべき。三流編集長のでしゃばりではなく、日本を代表する一人が投稿することで雑誌のレベルをあげることになるのだから積極的に載せてほしい。

置いている店をみつけて以来毎号買っていたが、付き合いもここまでかなと思い始めている。

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韓国貨物船問題

西村幸祐氏の日記「酔夢ing voice」の11日の記事によると、8日にまた韓国貨物船が漁船に衝突し、漁師が死亡したという。
情報元の日経には、晴れて視界良好だったとしか書かれていない。
せとうちの近くに生まれ育ったし、最近しまなみ街道などを渡り、大三島やこんぴら参りをしてきたばかりなので、視界だけで云々できるほど容易な海ではないことは想像できる。
確か日本史上初といわれる蒸気船の衝突事件もせとうちである。
島々の間の狭い航路、何箇所かある内海らしくない激しい海流、船の数と種類の多さ
どの航路であろうと、気の抜けない区間が続き、船員はへとへとだったろう。
しかし、検索するとkenken.cafe.siteさんが調べた結果、同社は過去に何度も漁船と衝突し、死者もだしていたという。
船員個人を懲役にして済むレベルとは思えない。
会社が無理な操業をしているか、必要な船員教育をする気がないか、どちらにしろ放置できる問題ではない。
司法の限界があるなら、立法において同社の船舶の入国禁止等、会社に対ししかるべき処置をとれるようにしないと、今後も何度でも繰り返される。

来年の韓流は嫌韓ブームでなきゃいいけど。たぶんここは嫌韓blogの一つだな。

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珈琲時光

名古屋シネマテークで昨日までと知り、急遽予定を入れる。

最後に4本の電車が交差する。
本作のテーマはこれだったかと思う。
電車が意味するもの、交差する駅、珈琲時光。

監督は空間を描く。陽子の住むちゃぶ台のある部屋、実家のコタツテーブルのある茶の間、台所、喫茶店、古本屋、駅、2人の向かい合う電車の中。ここのところアクションものをみてきたので、新鮮に思えた。

また、大都会ではない東京の姿は、大学時代に友人に連れられて歩いた街であった。
東京オリンピックの年に田舎に生まれた隅田は、ぎりぎり高度成長によって変わる前の日本を知っている。
この映画の中に隅田も懐かしさを感じた。
しかし監督は決してノスタルジーで撮ったのではないという。
スタジオではなくロケによって現代日本の姿を活写した。
誰かが云っていたが、日本という国は最先端のビルの上にお稲荷さんがあり、お参りする人がいる。
呉善姫さんだったと思うが、日本にはかっての古き良き韓国の風景が残っているという。
日本文化の厚みというか、地の果てのふきだまりというか、英国と共に海賊特有の収集癖の強みというか
古い風景が、残っている処には残っていて、現代的な風景ときちんと共存している。
神田を知らない地方の若い人が、この映画の風景をどう感じるのか知りたくなる。

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奥さまはフィリピーナ

奥さまはフィリピーナ」今藤元著ぶんりき文庫
私はまだフィリピンパブの良さはわからぬ朴念仁だが、先に「台湾海峡から見たニッポン」 酒井亨著小学館文庫を読んで、マレー人気質というものに興味を持ったことと、地元名古屋の人であることなどにより買ってみた。
国際結婚の離婚率の高さを書き、長く夫婦でいることの僥倖といつわかれるかわからぬと話し合う2人のホットな姿に、名古屋人のきまじめな気質と著者独特のユーモアがある。
母国ではできない格好も日本ではできるなど、生まれた国ではない土地に住む微妙な気持ちを書くことにより、国際結婚にどういう思いやりが大切かをみせる。
文春文庫の近藤紘一氏の連作を想い出させる。
ここでは優しい一面をみせているが、著者が並ではないことは著者略歴をみればわかる。
次回作が待ち遠しい。


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巡回の日々

自分のことについてエントリーしたい話題があるのに、ここ数日はひとのblogをみてまわってばかりいる。
まとめて自分の意見をつけたいが、時間がかかりそうなので、リンクだけつけさせていただく
先の瀬戸智子さんもその一つで、あれだけ書いてはただの人非人でおわっちまいそうだ。

高味壽雄 氏Radical Imaginathion
ファルージャは泣いてくれることを期待などしていない ファルージャは強烈な悲鳴を必要としている すべての良心を叩き起こすための悲鳴を
このエントリーだけではなく、ここ数日の文章は何度も読み返している。

小さな目で見る大きな世界」が再開されたのはとても喜ばしいことだ。weblogrankingの政治部門のトップ10のなかで、見識の高さは群を抜いている。私が人非人になったのとは対照的に人の情実を示してくれる。

「THE BIG NOTHING」も若いなりにわがことのように受け止める気持ちがある。

月の記憶」も異境にいる孤独をみせて香田氏の死をわがことのように受け止めた衝撃をみせる。

イラクからは離れるが「くまりんが見ていた」も、いつもながら深い人間洞察からくる御意見をじっくり噛み締めている。

西村幸祐氏の酔夢ing voiceも面白い
毎日新聞の記事は、潜水艦には海上保安庁をということだが、海上保安庁も駆逐艦を買えという意味であろうか。中国軍の危険については、米軍と大差ない拡張と実戦についてマスコミの情報はいつも切れ切れで、日本人にとてもみえにくい。本気で爆撃するなら自衛隊の再編と拡張、訓練計画を考えないと、大やけどをすると思う。

まだまだみたりない

kakokakokakokakokako's WebSite.」もいい視線をしているが、更にときどきイスラムの人とのチャットによる情報まででる。

Blogになった Diary from Flower Park...」では相手を馬鹿呼ばわりする愚かさについて書いている。秀才が馬鹿呼ばわりするのは選民意識だが、知識も頭脳も平均以下なblogでも相手を馬鹿呼ばわりしているから、”ストレス発散”というところを強調して考えたい。
ここは「news from japan」で知ったが、こちらでは伝統的な左翼思想と関連付けている。
馬鹿呼ばわりしてストレスを発散させるだけで世の中がよくなるわけじゃない、本気で倒したければ次の手順まで考えて準備すべし。
党首選挙を待つのか、国会議員選挙を待つのか、地方選挙から仕掛けるか。
投書やメール。
デモ、署名。

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人非人より2

かってこの国に蔓延していた疫病がまた力をつけそうな気配がする。
かってソ連を、中国共産党を、北朝鮮をこの世の楽園と呼び、彼らの戦争を正当化し、核保有を正当化し、韓国人日本人他の拉致事件を隠蔽してきた疫病。
善意、人道を表看板にした非情なふるまい。

瀬戸智子さんの枕草子「ひとまとめにされる人々」はイラクや周辺にいる人々を”ひとまとめにして”レジスタンスと呼ぶ。
国際テロリストと地元のイスラム過激派、穏健派指導者、レジスタンス、武器をもてない市民、外国人
私の目にはざっとこれだけの人々がみえるのだが、彼女にはみえないのだろうか。それともみたくないのだろうか。
自分に都合の悪い人の存在を無視するのか、区別する必要を感じないのでわざと区別しないのか。
殺生を生業とする人間として私は以前から、人殺しは普通の人間にはできないと書いてきた。自爆テロは自殺に近く、まだ容易だとも。
この国に住む大半の人間は、目的をもって生き物を手にかける経験を持たない。自分が人を殺すことを想像できない。
だから財産を一族を奪われても、ろくに抵抗もできない普通の人々の存在を想像出来ない。
誘拐ビジネスと殺人目的の誘拐の区別も、区別された理由すら考えない人たちが人道主義の叫びをあげるが、それは普通のイラク人を殺人者呼ばわりしていることだと気づかない。殺人者になれと云っていることに気づかない。


ブッシュjrの敵はアルカイダや武装勢力ではない。アルカイダの敵もブッシュではない。
ブッシュの敵は戦争に反対するアメリカ市民であり、イスラム過激派の敵も穏健派やテロを嫌うイラク市民である。
ブッシュは市民を戦争に巻き込もうとする。テロの被害を声高に叫ぶ。
国際テロリストや過激派は、外国人や穏健派、アメリカの協力者、治安維持に動く人を標的にする。
アメリカ軍がイラク市民を攻撃すればするほど自分たちが支持されることをテロリストは知っている。
過激派が力をつければつけるほどブッシュはアメリカで支持される。
この構図を断ち切らなければ、パレスチナの悲劇が繰り返される。

失礼ながら、レジスタンス万歳な発言は人道の皮を被った戦争推進者の発言にみえる。

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きもの日和in名古屋

11月3日に以前エントリーした「きもの日和in名古屋」にスタッフとして参加。
インスタントカメラを渡され、撮影班になったので自分の写真はないです。だから下の写真でご勘弁。
隅田のかぶいた格好は、ずず猫のおうちででもご笑覧あれ。

1時名古屋地下鉄東山線池下駅で集合。為三郎美術館でしの笛、能笛の演奏会から古川美術館、覚王山参道で下駄やビーズを漁って、茶店で昼の部は終了。
着付けを習って初めての外出・オフ会という人もいて、楽しくおしゃべりしました。


DSCN0665

夜の部は有松絞りの「近喜」のあこさんをお呼びして講演会。東京へは講演会ということにして、実際は着物好きのおしゃべりでした。

DSCN0666.JPG


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隠し剣鬼の爪

評価の難しい映画
藤沢周平は海坂藩という東北の片隅を舞台にした読む人の心に沁みる小さな物語を書く。架空の世界に引き込んで酔わせる。
映画は多くの人に共感を与え、何度も足を運び、周囲に推薦してもらうことで興行として成り立つ。
時代劇は舞台は過去でも、現代とつながる部分がたっぷりないと2時間という限られた時間で共感してもらえない。
細部にこだわりリアルであろうとすればするほど、現代が不足する。
私のように藤沢中毒にかかっていて、藤沢の雰囲気に酔いたい御仁には、時間を忘れる楽しいひとときであるが
普通の人たちには慣れるまでに時間がかかって感動する余裕もなかろう。
本当は旅行前で映画館にゆくような時期ではなかったが、来週以降上映回数が減らされ仕事を終えて寄れなくなるたため、無理をしたが、減らされるのも当然の入りであった。

殺伐とした時代に逆らいたい監督の気持ちが伝わってきた。
高島礼子の着物姿を初めて美しく感じた。武家の女房にはまだみえないが。
永瀬正敏は彼らしさを朴訥な下級武士という役柄の中でよく表現していた。
小沢征悦は現代につながる役をこなした。
田畑智子は下級武士の娘から百石取りの奥方になる差を共演者・スタッフ・衣装に助けられながらこなした。
ベテラン陣はコミカルなまでの人間くささでもって敵役を演じていた。

そして、松たか子は現代人とは違う”きえ”の明るさを(ラストシーンはわざとなのか少し違ったが)演じている。
以前から思っていたが、松という女性は77年からの短い人生の中で何をみてきたのだろう。
同年代の女性どころか私の世代の女性よりも深みのある表情をする。
物心つく頃より辛酸をなめてきて、大人達に混じって必死で金を稼いだ子役スターとも違う
お嬢様・お姫様の上品さ・闊達さとも違う。
気にはなっても私には怖くてファンになれない、不思議な女優さんだ。

おまけ
DSCN0661.JPG
今日の服は出羽木綿を中心にした土豪、百姓風
お武家は裸足が普通だし、羽織も違う。
商家の旦那風の着物をアレンジした現代の教本的な着物とは違いますが、この映画にはあっているかなと思う

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人非人より

まずは、香田氏のご冥福をお祈りします。
ご家族のご心痛お察しいたします。

と、これで終わるのが普通の人のとる態度であろう。
しかし、人非人な隅田としては、彼の死を利用して政府の悪口を叫ぶ阿呆や
善良の一見優しそうで無神経な言葉にちと反論する
以下の文は悪口雑言の類であり、まともな神経の人間のはく言葉でではない。
香田氏のご家族・ご友人には申し訳ございませんとあやまるしかない。


11月10日以下の文は削除しました。
ご希望の方にはメールにて配布させていただきます。

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