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東下という意識

先だって書いた日本人という意識のパロディとして

私は陸の孤島と呼ばれ、半島振興法により特別な予算で道をつくっている田舎出身ですが
名古屋の中心街栄にでるのも、東京は新宿にでるのも、特別な緊張を憶えたことはありません。
北海道時代も、体操服にジーンズで平気ですすきのを歩いていました。
それらの街には”上京”という意識をもったことがないからです。
普段は名古屋弁混じりの共通語を使っていますが、べつに紀州弁を”なまり”と恥ずかしく感じたこともないし
「花の都大東京」などと長渕剛の唄のような屈折したコンプレックスもない
自分が都会人だと思ったことはないですが
”東下り”という意識があるため、都会に出るとは思えないのです。
極論を云えば、故郷の醤油や蜜柑を下り物として神棚に飾った連中じゃないかと
ですから京都に上洛したときは緊張します。
ラフな格好をするにしても、隙がないようあちこち点検します。
この感覚は関西人以外にはわからないでしょうね、おそらく。

追記
大学時代、この手の話で東北・北海道・東海出身者をからかいました。
東京の人間は別に何とも思わないようでした。

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